名良橋晃がジョルジーニョから継ぎ、内田篤人に渡した「2」への思い (4ページ目)

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko
  • 井坂英樹●写真 photo by Isaka Hideki

――ジーコさんではなく、ジョルジーニョさんだと。

「もちろん、ジョルジーニョはジーコの想いを引き継いだ選手でした。でも、満男たちの世代にとって、ジーコは総監督でもあったから遠さがあったと思うんです。ともにプレーしたのは1シーズンだけだったと思うけれど、ジョルジーニョのほうからより、強いインパクトを受けたんじゃないかと、僕は考えています。そして、その満男のあとを継いでくれると期待しているのが、現背番号2の男です」

――内田選手だと。

「ドイツへ行く前は、気持ちを見せることに恥ずかしさや照れを感じているようなところがありましたけど、ドイツでの厳しい生存競争のなかでは、そんなことを言ってられなかったはず。ワールドカップブラジル大会でもそうでしたが、気持ちがほとばしるプレーをする選手へと成長しました。コンディションのことが気がかりではありますが、そのプレーや振る舞いでチームを引っ張ってくれると思っています。

あと、この間のガンバ戦(3月3日、1-0で勝利)の終盤、安西くんがグッとオーバーラップをしかけたんですよ。それもうれしかったですね。攻撃的なサイドバックとしてプレーした自分のことを思い出した。『あぁ、受け継いでくれているな』と勝手に喜んでいました(笑)」

――名良橋さんにとって、鹿島アントラーズとは?

「本当に僕を成長させてくれたクラブです。篤人が加入したとき、僕はケガで離脱して、篤人が試合に出ることになった。これはすごいライバルが来たなと思ったし、悔しさもありましたが、また取り返せばいいと考えられた。そうすれば、さらに成長できるなって。30代半ばでもそんな気持ちになれるのは、鹿島の選手だったからだと思います。

 キレイなサッカーじゃなくてもいい。ヘタはヘタなりに一生懸命ガムシャラに戦うことを僕は鹿島で学んだ。そこで身につけた闘争心は、そう簡単に消えることはないんです。

 鹿島が本当に好きですね。今でも(東京から鹿嶋へ向かう東関道の)潮来(いたこ)インターが近づくだけで、胸がワクワクします。インターを降りると、広がるいつもの風景。その先に見えるカシマスタジアム。最高ですよね。実家に戻ってきたような懐かしさと愛情が溢れてきます。

 クラブハウスに行けば、変わらないスタッフや職員の方々の顔があり、下部組織のユース監督には熊谷(くまがい)浩二がいて、トップチームにもかつてのチームメイトたちがいる。本当に実家ですね、僕にとっての」

■レオシルバの証言へつづく>>

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