移籍組の名良橋晃は「相手PKにガックリしただけで雷を落とされた」 (2ページ目)

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko
  • 井坂英樹●写真 photo by Isaka Hideki

 そう語る鈴木に笑顔はなかった。グループリーグ突破という最低限の結果を手にしただけ。選手たちにほっとした様子はない。そして、ミックスゾーンを歩く小笠原も厳しい表情を浮かべている。こちらの声掛けにもその表情は変わらず、わずかに顔を左右に振るだけだった。

 この後すぐに苦しい試合が続くリーグ戦があり、ACL首位突破がかかる4月17日の水原戦と連戦が続くなか、表現できなかった戦う姿勢やチームのためにという想いを取り戻せたような予感があった。

鹿島OBとして、後輩たちの動向に注目している名良橋晃鹿島OBとして、後輩たちの動向に注目している名良橋晃  *   *   *

「鹿島時代にも経験しましたが、選手同士が要求し合っている。要求するからには、自分もしっかりとプレーしなくてはいけない。そういう雰囲気が今、チームにあります」

 4月1日、J3第5節でSC相模原を2-4で破り、4勝1分として首位に立ったガイナーレ鳥取の森岡隆三監督は、自身が所属した鹿島アントラーズを例にとり、好調なチームについて語った。

 1997年、ベルマーレ平塚から鹿島へ移籍した名良橋晃も加入直後の練習から、森岡同様の空気を肌で感じていたという。

――1997年に移籍が成立しましたが、その前シーズンから鹿島への加入を熱望されていたそうですね。

「はい。当時は移籍係数ルールがあったりして、契約満了となってもなかなか移籍が難しい状況でしたが、どうしても鹿島でプレーしたいと思っていたので、強くアピールしていましたね」

――その理由には、ブラジル代表のサイドバックを務めていたジョルジーニョの存在があったというのは有名な話ですが、それ以外にも理由があったのでしょうか?

「そうですね。いくつかの理由がありました。1992年にJリーグ開幕を前に、カシマスタジアムを扱ったテレビ番組を見て、いつかこのスタジアムでプレーしたいと思ったのが最初でした。クラブハウスにも行く機会があり、こういう恵まれた環境でサッカー選手としての生活が送れたら、どんなに素晴らしいだろうという憧れもありました」

――1989年、高校を卒業後、当時JSLのフジタに加入されたわけですが、フジタは翌シーズンに2部に降格してしまい、Jリーグ参加も認められなかった。1994年にやっとJリーグに昇格し、秋には日本代表デビューも飾りました。

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