移籍組の名良橋晃は「相手PKに
ガックリしただけで雷を落とされた」 (3ページ目)
「カシマスタジアムのピッチに立ったとき、サポーターも含めたスタジアムの雰囲気に圧倒されました。試合中には平塚の一員として、いつも以上に高いモチベーションでプレーしましたが、鹿島のサポーターの後押しを受けてプレーしたいという気持ちを抱くようになりました。同時に招集から外れていた日本代表に復帰するうえでも、鹿島のような強いチームでレギュラーになるべきだとも考えるようになったんです。相馬直樹と同じ方向を向いて戦いたいという気持ちもありましたね」
――念願が叶い、鹿島の一員になったわけですが、最初の印象はどんなものでしたか?
「契約が完了したあと、キャンプを行なっているブラジルへ飛びました。砂浜でトレーニング中のチームに合流したとき、ジョルジーニョが『こっちこっち』と呼んでくれ、感動しましたね。そのキャンプのときから、戦いの日々が始まりました。
まずは、僕を受け入れてくれたクラブへ恩返しするためにも、右サイドバックを務めていた内藤(就行)さんとのレギュラー争いに勝たなくてならないですからね。とにかく選手同士が厳しく要求し合う様子が印象的でした。チームメイトに要求するのだから、自分がヘタなプレーはできない。そういう覚悟を感じました」
――当時の鹿島の練習といえば、笑顔もほとんどなくて、厳しい時間だったと記憶しているのですが......。
「そうですね。練習中はピリピリとした空気がありました。紅白戦をやっても、Bチームの顔ぶれがすごかった。ヤナギ(柳沢敦)やヒラ(平瀬智行)など、高校選手権で活躍した選手や力のある若い選手がたくさんいて、すごいところへ来たんだと、改めて感じました。そして、いかにこれまでの自分の意識が低かったのかを痛感したし、甘えがあったと恥ずかしい気持ちにもなりました」
――けれど、レギュラーポジションを手にし、代表にも復帰しました。
「それでも気を抜けば、ポジションを失いかねないという危機感はずっと抱いていましたね。それは内田篤人が加入したときまで続きましたよ。だけど、こういうライバルの存在が自分の成長に繋がると実感していました。そういう毎日を過ごしていたので、代表へも必ず復帰できるという自信がありました」
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