J1を蹴ってタイに。そしてJFLに。高木和道「人生ってわからない」 (3ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa

 もっとも、退団を決断した時点では、ひとつとして現実的な話はなく、不安もあったそうだ。それゆえ、移籍先探しを代理人任せにはせず、自身の人脈を使って情報を集め、ああでもない、こうでもないと考えを巡らしていたのも事実だ。

 結果的に、契約を残して退団の決断をした選手にもかかわらず、高木のサッカー人生に寄り添ってくれたジュビロ磐田の強化部、そして名波浩監督のサポートにも助けられ、タイ・リーグ2(2部)のエアフォースとの契約にこぎつける。その新たなチャレンジに、高木は胸を膨らませた。

「話が持ち上がってから、決まるまでわずか2週間ですからね。ほんまに人生ってわからないものです。僕の思いを汲(く)んでくださったジュビロの関係者のみなさんをはじめ、いろんな方に助けていただいたことを忘れず、がんばってきます」

 その言葉どおり、エアフォースでの最初のシーズンとなった昨年、高木はチームのど真ん中で活躍を見せる。慣れない国、日本とはまったく違うサッカー文化は、当初、驚きの連続だったが、いろんな人との交流を通して、また彼自身もタイという国を受け入れることで徐々にそのすべてが楽しさに変わり、それはクラブ、チームからの"信頼"につながっていった。

「現地の方と交流を持つようになって気づいたのは、日本と比べるのが一番よくないということ。日本と比べるからあれが違う、これが違うと思うんだろうけど、"郷に入れば郷に従え"で、タイはこういうやり方だと受け入れるようになったらすごく自分が楽になった。それに、そもそも自分から望んでタイでプレーすることを選んだのに、文句を言うのは違うなと。

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