J1を蹴ってタイに。そしてJFLに。高木和道「人生ってわからない」 (2ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa

「試合に絡んでいたとはいえ、J2の岐阜でしかも、2015年の成績は22チーム中20位でしたから。その僕がもう一度、J1のクラブに戻るチャンスをもらえるとは......いやぁ、何が起きるか、わからないものです!」

 それは、昨年まで所属していたタイのエアフォース・セントラルFCへの移籍が決まったときも同じだ。

 2016年シーズン、ジュビロ磐田でのシーズンを終えたあと、高木はある決断をしている。それは1年の契約を残しながら、磐田を退団するというもの。周囲からは、35歳という年齢を考慮してのこともあり、「J1クラブとの契約があるなら全うしたほうがいい」という声も聞こえてきたそうだが、彼は自身がチームで置かれている現状を踏まえ、決断に踏み切った。

「ジュビロ磐田で1年間お世話になって、ましてや契約も残している中で、何の恩返しもできないままチームを去ることがいいのかは本当に考えました。

 ただ現役選手としてのサッカー人生が残り少なくなってきて、若い頃のように純粋にサッカーがうまくなりたいというより、サッカー選手として、ひとりの人間として『人生の経験値をより高めたい』という考えが強くなっていた中で、かねてから描いていた"海外での仕事"を実現するには、選手としてチャレンジするのが一番、簡単かもしれないな、と。

 と同時に、その"海外"も年齢を重ねるほど難しくなるのはわかっていたので、これがラストチャンスかもしれないと思い、まずはジュビロ磐田に退団の意思をお伝えしたうえで、行き先を探しました。それが、エアフォースでした」

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