中田浩二「アントラーズの紅白戦は
きつかった。試合がラクに感じた」 (3ページ目)
――そういう輪のなかには、新人だと入りづらいですよね。でも、試合出場することを考えたら、そのコニュニケ―ションに加わらなければならない。
「もちろん、最初はビビッているところもあるから、自分の意見なんて言えなかった。でも、話さないとわからないことを理解してもらうこともできない。そういうとき、奥野(僚右)さんが、『お前はどう思うの?』と声をかけてくれるんです。そうして話し始めても、『お前は1年目なのに、生意気な』というような空気にはならない。みんなが僕の意見を聞いてくれる。
そして、『お前はそう思ったかもしれないけど、こういうときにはこういうやり方もあるんだ。だから、お前はそうしなくちゃいけないんだ』と話してくれる。僕も『なるほどな』と気づける。そういう教えを重ねて、自然と自分が試合のなかで何をしなくちゃいけないかが明確になってくる」
――当時、柳沢敦(鹿島コーチ)さんが「どんなに幼い子どもであっても、その子の意見に耳を貸さなくちゃいけない」とジョルジーニョに言われたと話していました。そういう空気が鹿島にはずっと漂っているように感じます。ご自身がベテランになったときも、それは大事にされていましたか?
「もちろん。話しづらいだろう若手にもこちらから声をかけるし、彼らの意見も大切にしました。コミュニケーションがなければ、勝利のためにチームがひとつにはなれない。だから、議論を省略することはできないんです」
――中田さんの同期は6人の選手がいて、普通に考えたら、ライバルが多い状況ですよね。しかも強豪クラブだから、競争は激しい。
「よく6人が集まったなと思います。でも、きっと誰もが『自分は試合に出られる』と思っていたはず。鹿島は簡単に試合に出られるような環境ではなかったけれど、そういう競う同期がいたから、奮起し続けられた。
僕が最初に試合に出た。そうなれば、ほかの選手は『負けたくない』とトレーニングをしただろうし、その後、満男が出れば、僕はやっぱり悔しかった。だからといって、練習で削ってやろうなんて思わない。満男がレギュラー組と話していたら、『どんな話をしたの?』と聞き、逆の立場で聞かれれば、隠すことなくすべてを話す。そんなライバル関係があったからこそ、自分が伸びていると実感できました」
――同期がみんなBチームだったとき、トップチームとの紅白戦で、「いかに勝つかと必死だった」と小笠原選手が話していました。Bチームも「勝つために」という意識だったんですね。
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