J2ベルマーレのスポンサーに
戻ってきた「フジタ」の偉大なる過去 (6ページ目)
最終戦でライバルのヤマハ(現ジュビロ磐田)を下し、優勝も決めたイレブンは平塚駅で大勢の市民から盛大な祝福を受けた。
「平塚駅を出たらすごい人で。盛大に迎えてもらったよね。特設ステージを......どこかに作ってくれて、実はあまり覚えてない。酔っぱらってて(笑)。ヤマハに勝って、新幹線に乗って、小田原で乗り換えて東海道線、いつもは普通車なのにグリーンに乗せてくれて、誰かがビールを用意してくれて......」
回想の主は(内容でお察しかもしれないが)小島伸幸である。
1988年にフジタ入社。本社総務部に籍を置き、午前中は都内で社員の出張旅費などのチェックをする仕事に従事。昼から小田急線に乗って平塚市北部のグラウンドへ向かい、練習が終わるとまた小田急線で会社の寮へ帰る。そんな社会人生活も経験している選手である。
もちろん、1993年の頃にはすでに生活と環境は変わり始めている。出社がオフシーズンのみになった。建設会社らしく、それまで工事現場用のプレハブが置かれていた練習場に、クラブハウスが建った。もちろんフジタが建てた。
この頃、資本金は500億円を上回り、年度売上も7000億円超。社員数5700人を抱える準大手ゼネコンが、選手たちの快適なサッカー環境と安定した生活を支えていた。
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