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J1からJ2、J3、JFLまで渡り歩いた
市川大祐が語る「引退秘話」 (5ページ目)

  • 望月文夫●取材・構成 text by Mochizuki Fumio
  • 長江由美子●撮影 photo by Nagae Yumiko

――その現役を終え、今後については何か決まっていますか。

「みなさんに挨拶をする毎日で、まだ何も決まっていませんが、今後も何らかの形でサッカーに関わっていくでしょうね。誰にもできる経験ではなかったですから、それを周囲に伝えていかなければと思いますし、それが自分の強みでもあると思います。まだ何も決まっていませんけど、いろいろな可能性を感じています」

――これまでの経験を伝えるとしたら、イメージしているのは指導者ですか。

「それもひとつですが、サッカーに関わるという考え方であれば、クラブのフロントや、テレビやラジオの解説などもあります。いろいろな考え方がありますから、あまり狭い範囲に限定しないで、焦らずに決めたいと思っています」

――サッカーに関わる仕事をする中で、具体的には何を伝えていきたいですか。

「伝えたいことが多すぎて、"これ"というのは難しいですけど......。まず自分のサッカーの原点にあるのは、(1997年から)清水のトップチームでプレーを始めたときの、アルディレス監督(1996年~1998年)とペリマンコーチ(コーチ=1996年~1998年、監督=1998年~2000年)の指導です。あの頃は、日々の練習がとにかく楽しかった。といっても、練習内容が緩いわけではなく、ピリピリしたムードの中にも笑いがあって、そのバランスが絶妙でした。この練習をやれば自分がうまくなると思ったし、次の日の練習が待ち遠しい。『早く練習をやりたい』と毎日思っていました。そういうムードって、なかなかないと思うんですよ。

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