永井秀樹「何ひとつ、夢はかなっていない。だから45歳までやれた」 (3ページ目)

  • 会津泰成●文・撮影 text&photo by Aizu Yasunari

 とはいえ、永井は元来目立ちたがり屋で、流行りものが好きだったことも確か。茶髪にロン毛、腕にはロレックスのクロムハーツ仕様を巻いていた。愛車も、中古で錆だらけのスターレットから真っ赤なBMWのオープンに乗り換え、さらに年俸が上がった2年目には「何となくカッコいいから」という理由で、真っ黒なポルシェカレラに変わっていた。

 サッカー選手として浮かれることはなくても、私生活では永井もまた、Jリーグバブルの中にいた。

 筆者がそんな永井と懇意になったのは、彼がプロ入り4年目の1995年、ヴェルディから福岡ブルックス(現アビスパ福岡)に期限付き移籍したときだ。お互い、お世話になっている知人がいたことがきっかけだった。

 博多でも、永井は"Jリーグバブルの象徴"的なライフスタイルを貫いた。一方で、誰よりも遅くまで居残り練習をし、食事に出かけても、アルコール類は一切口にしなかった。それは、45歳で現役を終える瞬間まで変わることはなかった。

 話は少し逸れるが、1990年前後に新入社員になった世代を「バブル世代」と呼ぶ。おおむね1965年生まれから1969年生まれの人たちだ。当時、日本は空前の好景気に沸いていた。日経平均株価は、1989年12月29日には、3万8957円44銭という史上最高値を記録した。

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