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永井秀樹「何ひとつ、夢はかなって
いない。だから45歳までやれた」 (2ページ目)

  • 会津泰成●文・撮影 text&photo by Aizu Yasunari

「Jリーグバブル」という時代に

 永井はJリーグ誕生の前年、1992年にヴェルディの前身、読売クラブに20歳で入団。ラモス瑠偉、三浦知良(カズ)、武田修宏、北澤豪など、先発メンバーのほとんどが日本代表という、圧倒的な強さと人気を誇る"最強軍団"でプロのキャリアをスタートさせた。翌1993年、Jリーグが開幕すると、ヴェルディの人気はさらに絶頂を極めることになる。

 そんな豪華タレント軍団にあって、新人の永井は準レギュラーだったが、アイドルタレントのような甘いルックスで若い女性を中心に支持を集め、ファッション雑誌の表紙を飾るなど、人気面では最初からトップクラスだった。

 ただ、永井自身は、当時の熱狂を「別に黄色い声援を浴びたくて、サッカー選手になったわけじゃないしね」と、冷めた目で見ていた。

「学生時代は、中古でボロボロのスターレットが愛車だった。いい服も持っていなかった。サッカーはうまいかもしれないけど、一般的にはただの貧乏学生。当時、ディスコでVIP待遇を受けるような女性からは見向きもされなかった。それが、『Jリーガー』と呼ばれるようになった途端、(そういう女性が)勝手に寄ってきて、媚(こび)を売られるようになった。『Jリーガー』という言葉は、今でも好きじゃない。自分はずっと、『プロサッカー選手』と思ってプレーしてきた」

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