新連載スタート! FC岐阜・恩田元社長から届いたJへの伝言

  • 恩田聖敬●文 text by Onda Satoshi

 そんな私にとって、FC岐阜の社長就任の話は、大きなチャレンジでした。しかしながら、自分の故郷で地域を活性化するお手伝いができる。経営者として、ひとつの集大成である、社長という立場ができるのか試してみたい。そんな思いで、ふたつ返事で岐阜に行くことを決めました。

 岐阜に来て直ぐに、FC岐阜、Jリーグクラブの経営がいかに難しいかを思い知ります。理由はいくつもあります。

 売り上げ10億にも満たないのに、事業内容は非常に多岐にわたりすぎている。ステークホルダー(利害関係者)が多く、それぞれの思いがしばしば利益相反する。常識では計れない「クラブ愛」を持つサポーターのみなさんと、どうやって二人三脚していくか。地方都市において、スポーツはマネタイズのイメージがない。「サッカー界ではこういうものです!」という一般常識からかけ離れた暗黙ルールの存在......。

 難しい理由を挙げればきりがありません。私はサッカーの素人でした。だからこそ、サッカー界の常識にとらわれないアプローチを試みました。次々と出てくるアイデアをどんどん試していく毎日。お客様の笑顔を見ることが楽しくてしようがなかったです。

 そんな充実した社長生活の中で、ひとつ大きな誤算が生じます。私の筋萎縮性側索硬化症(通称ALS)発症です。社長就任のわずか1カ月後に診断を受けたのです。しかし、当時の症状は日常生活に支障はなく、ようやく盛り上がってきたFC岐阜に私の病気で水を差してはいけないと思い、公表しない道を選びました。

 しかしながら、ALSは進行を止めることなく私の身体に襲い掛かり、昨年1月末に病気を公表(※参照 FC岐阜HP公表会見)、そして歩けなくなり、呂律(ろれつ)も回らなくなり、職務継続が不可能と判断し、昨年11月のホーム最終戦の試合後に社長辞任を発表しました。(※参照 FC岐阜HP辞任会見)

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