「被災地にグラウンドを!」アントラーズ小笠原満男の熱き思い (2ページ目)
地元からの強い要望もあって、グラウンドを作る場所は、小笠原の母校・大船渡高があり、被災地でもある岩手県大船渡市を選んだ。以降、小笠原は精力的に行動し、大船渡に再三足を運んで、大船渡市長をはじめ、関連する自治体や地域の関係者らに、グラウンド作りの支援を働きかけた。
そして、プロジェクト発足からわずか1年、2013年4月に多くの関係者、全国からの募金などの協力を得て、小学校の跡地に平らな土のグラウンドを創設。小笠原の最初の念願は叶った。
完成したグラウンドは現在、サッカーのみならず、さまざまなスポーツを楽しむ場として利用され、使用するための予約は3カ月先まで埋まっているという。それだけ多くの人たちが、グラウンドの創設を待望していたわけだ。
2013年4月に完成したグラウンド と、ここまでは理想的な流れである。
一方で、グラウンドがオープンしてから、利用者を悩ませている問題があった。それは、土壌の緩さと、冬場に起きる土の凍結だった。小笠原が説明する。
「(大船渡は沿岸部の暖かい場所で)雪はあまり降らない地域だから、雪で(グラウンドが)使えないということはほとんどないんですよ。だけど、どうしても冬場の雨のあとなど、グラウンドが凍結したり、ドロドロになったりして、歩くことさえままならない状態になってしまうことが、頻繁に発生してしまうんですよね......」
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