【育将・今西和男】 森保一「プロ選手も、日本代表も教えのおかげ」 (2ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by Kyodo News

 そして繰り返すように言った。「今西さんが最初にサンフレッチェで作り上げて来たものを、今ピッチ上で具現化している選手だと思います」 

 森保は2012年に、この古巣のチームを率いると、初年度でリーグ制覇を達成。翌年も劇的な連覇に導いた。日本人監督でJリーグ2連覇を達成したのは、他には岡田武史しかおらず、指導者キャリアの最初から大きな実績を積み上げている。日本人代表監督の待望論がある中、その候補に名を連ねることになるであろう日本サッカー界の宝と言えよう。

 その森保が「今の自分があるのは今西さんのおかげ」と言って憚(はばか)らない。

 「そもそもサッカーでメシが食えて、そのうえ、日の丸を背負う代表選手になれるとか、思ってもいなかったですから」

 出会いから振り返ってもらった。

 長崎市の深堀中学校でサッカーをしていた森保は、長崎日大高に進学する。地元のサッカー少年たちが憧れた国見高校に進むことも考えていたが、高校受験に努力しない姿勢を見た厳しい父親が、国見受験を許してくれなかったのである。当時は、この国見と島原商業が全盛期で、全国への壁は厚く、インターハイも選手権も出場することができずに、高校でのサッカーは終わってしまった。長崎県選抜には選ばれてはいたが、全国的にまったくの無名選手で、何より森保自身が「自分は足も速くなくて、体力もテクニックもない。国見の選手との力の差を痛感していた」というレベルであった。

 春に学校で練習していると、二人の大きな男が訪ねて来た。マツダで強化部長をしていた今西和男とコーチのハンス・オフトだった。森保は日本リーグの一部のチームが、サッカースクールの一環で指導に来てくれたのかと思っていた。事実、オフトはキックの指導をしてくれた。正しい蹴り方でバーを狙うというデモンストレーションを行なって、その通りバーにボールを当てたのには「オランダ人はやっぱりサッカーが上手いな」と素直に感心していた。

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