【育将・今西和男】 森保一「プロ選手も、日本代表も教えのおかげ」 (3ページ目)
二人を呼んだのは顧問の下田規貴(のりたか)監督だった。下田は、この年の正月に今西に出した年賀状に「ぜひともプレーを見てもらいたい森保という選手がいるので、一度お越し願いたい」という一文をしたためていた。当の森保はそんなことは露ほども知らず、漠然とどこかサッカー部のある会社に入ってプレーを続けたいと考えている程度だった。
今西は下田の依頼に心を動かされて、オフトと一緒に広島から長崎に出向いた。
「あれが森保か」。練習を見る限り、オフトはまったく興味を示さなかった。今西もまた「特別に上手くないし強くない、ストロングポイントの無い選手」という印象を持った。ただ、ひとつだけ括目したスキルがあった。
「姿勢がええのう。首を振ってよう周囲を見とる。目立たんが、視野が広いんじゃな」。どんなことが起きているのかをしっかりと把握している。確かにスピードは無いので目立たないが、危機を察知する能力があって、危ないところをケアしようといつも動いている。後にポジショニングの的確さから「ビハインドマン」と呼称される危機管理能力の高さを感じ取っていた。
オフトはこの1回しか足を運ばなかったが、今西はそれからもひとりで長崎日大へ通い続けて、森保を見た。夏休みにテストをするからマツダの練習に来い、という通知を出した。
テストは愛媛の南宇和で行なわれた。マツダの一軍は欧州遠征に行っていたので、控えチームがキャンプを張っていた。トップチームではなかったが、それでも森保が練習に参加してみると、ついていくのが精いっぱいだった。必死に食らいついていったが、想像以上のレベルの差を感ぜずにはいられなかった。「もっとやれると思っていたのに」。
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