松木安太郎と福田正博が語り合う「日本の育成法に疑問あり」 (4ページ目)

  • 津金一郎●構成 text by Tsugane Ichiro


松木
 彼らが次の日本代表を支える存在だから、五輪予選を勝ち抜いてもらわないと困るし、リオ五輪後は日本代表入りしてもらいたいね。それから、将来を見据えたときに、中盤の遠藤(保仁)に代わる若手も、もっと台頭してきてほしいよね。

福田 そうですね。リオ五輪世代のひとつ上で、すでに日本代表入りしている柴崎岳が、代表で経験を積んでどこまで成長できるか注目しています。

松木
 リオ五輪代表候補の遠藤航(わたる)も、所属する湘南では3バックの一角だけど、五輪代表ではボランチに転向するという話だから楽しみにしているんだ。クラブチームのポジションからコンバートされて代表で起用されるケースはこれまでもあって、今野(泰幸・G大阪)が、チームではボランチだったのが、代表ではセンターバックを任されていたよね。日本代表が世界で勝負するためには、監督が選手の特性を見極めて、クラブチームとは異なったポジションで起用して層の薄さを補う。そのためにも、各カテゴリーの監督はJリーグでプレーする選手の可能性を探って、代表チームを活性化させてほしいな。2015年は日本代表がサッカー界を明るく照らしてくれることに期待したいね。

福田
 そうですね。2014年の停滞感を吹き飛ばすためにも、まずは日本代表にアジアカップで日本代表に連覇を成し遂げてもらいましょう!

part1はこちら>>激論!松木安太郎と福田正博が考える「Jリーグの未来」
part2はこちら>>松木安太郎と福田正博が代表監督に求める「条件」とは?

photo by Yamamoto Raitaphoto by Yamamoto Raitaプロフィール 
松木安太郎
1957年11月28日東京都生まれ。日本リーグ時代、読売(現・東京ヴェルディ)で活躍し、日本代表としても国際Aマッチ12試合に出場。90年に引退後、読売のコーチとなり、93年からヴェルディ川崎の監督に就任。Jリーグ初代優勝監督となった。また、94年にもリーグ優勝して連覇を達成。その後、セレッソ大阪、東京ヴェルディの指揮も執った。現在はテレビ朝日サッカー解説のほか、さまざまな分野で活躍。
福田正博

1966年12月27日神奈川県生まれ。日本リーグ時代、三菱(現・浦和レッズ)に入団し93年からJリーグへ。95年50試合32得点で、日本人初のJリーグ得点王に。日本代表45試合9得点。02年現役引退。S級ライセンス取得後、2008年から浦和レッズコーチに就任。現在はサッカー解説者として『S☆1』(TBS)など各媒体で活躍。

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