小林祐三(横浜FM)のSB論。「守りでは誰にも負けない」 (3ページ目)
「ボランチ、CBではおまえを考えていないぞ」
そう言って横浜F・マリノスへの入団を強く勧めてきた岡田武史監督(当時マリノスを指揮)である。
「岡田監督自ら、2回もわざわざ会いに来てくれました」と小林は告白する。
「静岡で中華を一緒に食べた記憶があります。高校生ですから、めちゃくちゃ緊張して、何を喋ったのか、あまり覚えていません。ただ、岡田さんは自分の特性を右SBと見抜いてたのかもしれませんね。今でも覚えています。マリノスの練習に1週間以上、参加したんですが、紅白戦に出場して久保さんをマークしたら、『やっぱりいいじゃん』と岡田監督に褒めてもらって。そして2003年5月のサテライトとの練習試合でした。大宮戦で右SBとしてプレイしたんです。正直、このときは全然ダメでしたが(笑)」
だが、小林は迷った挙げ句、柏への入団を決断した。当時の横浜はJリーグ連覇を果たす直前で、日本代表クラスの選手がひしめき、たとえSBだとしても、ディフェンダーとしてやっていくだけの自信がなかった。
「あの時に横浜に入っていたら、どうなってたんですかね? それをキタジさん(北嶋秀朗、柏時代の先輩で現在はロアッソ熊本でプレイ)に言ったら、『そんなこと考えても仕方ないじゃん。お前はセンターバックの経験もあったから、今それがサイドバックに活かされているんだよ』と。本当、その通りです」
小林は快活に笑い、言葉を継いだ。
「最初にネルシーニョから(右サイドを端から端まで指さされて)『ここはお前のもんだ』と言われたときは、なんのこと?と思っていました。でも右サイドバックはやってみると面白くて。自分はそもそも、ポリバレントと言われることはずっと引っかかっていました。周りはいい意味で言ってくれていたんでしょうけど、結局、“どこもできそうで、どこもできない”ということだから。サイドバックはサイドの攻防が、一対一とか素人目にも優劣が出やすい。負けず嫌いの自分には、“目の前の奴を必ず止める”とスイッチが入るので合っていました」
サイドの番人としての矜持(ぎょうじ)は、日々、心の中で磨いてきた。
現在世界最高の右SBとして、ブラジル代表のダニエル・アウベスの名前を挙げる人は少なくない。身体能力とボール技術が融合した攻め上がりは、“攻撃は防御なり”でスペクタクルだ。ボランチにパスコースを与え、攻撃が詰まったときは果敢なドリブルで“酸素を供給する“。しかし守備では裏を取られる機会も少なくない。ダニエル・アウベスはその高い攻撃力で成立しているのであって、彼を気取った攻撃的SBは見るも無惨だ。
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