サッカー日本代表は「史上最強」の戦い方をできるか 結果のみを追求した南アフリカ大会・岡田ジャパンとの類似点 (2ページ目)
【攻撃陣が戻らなければやられていた】
「選手は監督の決めた戦術に合わせて動くべきで、それを徹底的に貫いた。そこまで割り切らんと、あそこまで俺はディフェンスはせん。日本人が勝つためには、数的有利を作らないと難しいから、俺たち(攻撃陣)は戻った。自分が戻らないとディフェンスはやられていたはず。(長友)佑都でも、1対1の勝負に追い込まれたら厳しかった。突破されるのを承知で、戻らないわけにいかないっしょ」
正論だった。グループリーグでカメルーン、デンマークに勝利したが、"弱者の兵法"が功を奏した。
「一発を狙ってたからね」
大久保はそう説明していた。
「セットプレーかカウンター、どちらか一発を決めればよかった。あのレベルで、自分たちがリズムよくパスを回してチャンスを作る、なんて無理。当時の戦力差を考えたら、それなりのやり方だった。まず守備ブロックを作る、次にブロックごと後ろに下がる。ボールをクリアしたら押し上げる、敵ボールになったらまた下がる。隙を見つけてセットプレーを取る、もしくはカウンターでシュートを打つ。その繰り返しで、一発を待って辛抱強く戦えた」
パラグアイ戦の大久保は満身創痍だった。半月板損傷を悪化させると、大会後、全治2カ月と診断された。
「カメルーン戦で膝をぶつけて半月板を損傷してからは、気力だけが頼りだった。パラグアイ戦の後半にGKと交錯した時、完璧に半月板が壊れて、もう足が動かんやったもん。でも、プレー中はアドレナリンが出とるから"うわー、いったいなー"と思うけど、なんかやれるんよ。終わったら、泣きそうになるほど痛いんやけど。でも、代表選手はみんなそう。ケガなんか言い訳にしない。絶対にやれる、という気持ちを持っとるか持っとらんか」
パラグアイ戦は延長に入ると、交代選手投入で強度が落ちない相手にじりじりと押されていた。全員が気力を振り絞ってたどり着いたPK戦だったとも言える。現場で取材しながらの実感としては「健闘した」と拍手を送るべき試合で、「あと一歩で勝てた」という口惜しさは湧いてこなかった。当時の日本代表は、あらゆる手を尽くし、ひとつの歴史を作ったと言える。
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