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中田英寿が足を止めずに通り過ぎていくのは当たり前 「群れない」のではなく「高い境地にいた」孤高の人 (3ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Kei Totsuka

【少ない言葉で明確に課題を指摘】

 日韓ワールドカップへ向けた日々は、取材者が爆発的に増えていった。選手からすると、所属する媒体も名前もわからないメディアが増えたことになる。コメントする立場では、居心地がいいものではなかっただろう。

 中田が足を止めずにミックスゾーンを通り過ぎていく。そんな光景が、なかば当たり前のようになっていった。

 彼自身はオフィシャルサイトを立ち上げた。サイトに連動したCS放送の番組もスタートした。自らメディアを持つことで、自分の思いを正しく伝えていった。

 僕自身はフランスワールドカップ後にフリーランスとなっていて、選手のコメントありきで記事を書く機会は限られていた。「中田のコメントを取ってこい」と、デスクに指示されることもない。

 もちろん、コメントはほしい。そして、「ここはポイント」と思えるような試合後に、中田はミックスゾーンで立ち止まった。信頼関係を築いている記者の呼びかけに応えるのだが、その後ろには何十人という記者が集まる。それも承知のうえで、彼は質問に答えていた。

 2002年の日韓ワールドカップでトルコに敗れたあとは、「足りないものはいろいろある。ひと言では言えない。手ごたえはありましたけど、負けたのは何かが足りないから」と話した。

 日本を1-0で退けたトルコは、ベスト4まで勝ち上がった。彼らにあって日本に足りなかったものは何か。中田の言葉とともに、4年後のドイツワールドカップへの道のりはスタートしたと言っていい。

 ジーコ指揮下では、たびたび苦言を呈した。彼と川口らのアトランタ五輪世代、柳沢敦、中村俊輔、中澤佑二らのシドニー五輪世代、小野伸二らの黄金世代が集結したチームは、1998年よりも2002年よりも優れた個が集結していた。チームのポテンシャルを信じているからこそ、少ない言葉で明確に課題を指摘していった。

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