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中田英寿が足を止めずに通り過ぎていくのは当たり前 「群れない」のではなく「高い境地にいた」孤高の人 (2ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Kei Totsuka

【何を聞いても素っ気なくて......】

 僕自身は1997年の最終予選から、中田を取材していく。

 最初に声をかけたのは、アブダビで行なわれたUAE戦の試合前日だった。練習を終えてロッカールームへ戻っていく彼を呼び止めた。当時はまだミックスゾーンと呼ばれる取材エリアはなく、話を聞きたい選手を自分で捕まえていた。

 中田はある試合で自身のコメントを切り取って使われたことから、限られたメディアにしか話をしないようになっていた。彼がどんな対応をするのかはわからなかったが、ひとまず立ち止まってくれた。

 所属と名前を明かして質問をすると、嫌がる様子もなく答えてくれた。表情を曇らせることもなかった。僕の同僚との間にある信頼関係が、取材のアシストをしてくれたのかもしれない。

 0-0のドローに終わった翌日の試合後も、足を止めてくれた。前日は僕ひとりで、この日は数人の記者と一緒に囲んだが、言葉は多くなかったものの、質問に答えてくれた。

 UAE戦の次は、ホームの韓国戦だった。試合前日に韓国メディア向けの会見が設定され、先方からのリクエストで加茂周監督とカズこと三浦知良、それに中田が出席した。「中田に何を聞いても素っ気なくて、記事にできるかどうか」と、韓国人記者がひどく困っていた。

 翌日の韓国戦は、終盤の失点で逆転負けとなった。チームは中央アジアへ遠征してタジキスタン、ウズベキスタンと引き分ける。最終予選突破に黄色信号が灯るなかで、中田のコメントを聞く機会は減っていった。あのジョホールバルでイランを破った試合後も、彼のコメントを直接聞いていない。

 1998年のフランスワールドカップを経て、中田はセリエAのペルージャへ移籍した。

 イタリアでプレーしている彼の取材機会は、基本的に日本代表の活動期間に限られる。ましてやセリエAで結果を残しているから、その言葉を聞きたい記者が大きな塊(かたまり)を作る。

 期せずして、日本代表の取材にはミックスゾーンが導入されていた。ロッカールームからバスへ乗り込む間の決められたエリアで、取材者は選手に声をかけて話を聞く。

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