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サッカー日本代表の世界への扉を開けたのは30年前のユース世代 予選突破は簡単ではなかった時代 (3ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【初めての世界大会経験】

 初めてアウェーでの世界大会に挑戦した日本代表は、開催国エクアドルと同じグループAに入ったため、キトにあるメイン会場、エスタディオ・オリンピコ・アタウアルパで3試合を戦った。そして、初戦ではこの大会で優勝するガーナに敗れたものの、米国に勝利し、最終戦ではエクアドルとスコアレスドロー。勝点でエクアドルと並んだものの、得失点差で劣り、グループリーグ敗退に終わった。

 日本チームの敵は対戦相手だけでなく、世界大会の緊張感や高地という環境だった。

 試合前に選手たちが入場し、国歌が流され、集合写真が撮影され、キャプテン同士のペナント交換が行なわれる......。今ではすっかりお馴染みの光景だろう。

 だが、当時の選手たちはそうしたセレモニーにも慣れていなかったので、一つひとつに戸惑いを隠せなかった。なにしろ、日本チームが海外での世界大会に出るのは、メキシコ五輪から数えても27年ぶりだったのだ。それに、今と違って海外で行なわれる世界大会の映像を簡単に見ることができる時代でもなかった。

 だが、この当時のU-20あるいはU-17日本代表選手たちは、その後もFIFA主催の各カテゴリーのW杯で活躍し続け、また、海外クラブへの移籍も実現。その後の世代にとっては、世界大会は馴染み深いものとなり、試合開始前のセレモニーなど誰もが自然にこなせるようになっていく。

 キトという環境も特別だった。

 エクアドルは南米大陸北部の赤道直下にある国だ。そもそも「エクアドル」という国名はスペイン語で赤道のこと。キトの約25キロ北には、18世紀にフランスの測量隊が赤道を観測した地点があり「ミタ・デル・ムンド(世界の中心)」という名の一大観光地になっている。

 しかし、キトは高原にあるので、赤道直下であっても暑くはない。

 標高は2850メートル。ボリビアの事実上の首都ラパスの3600メートルには敵わないが、メキシコ市(2240メートル)を凌ぐ高原都市なのである。

 地形もかなり険しく、谷を隔てた反対側には大きな山々がそびえている。キトから見るとそれほど高くは見えないのだが、みな4000メートル級の山ばかりだ。キト自身が2850メートルもあるので、4000メートルの山でもそれほど高く見えないのだ。

 これだけの高地になると、人間の運動能力などに大きな影響を与える。

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