巻誠一郎にとってのサプライズ選出「W杯後の僕のストーリーで言えば、むしろ代表に選ばれないほうがよかった」 (3ページ目)
オシムが倒れたあと、日本サッカー協会はオシムの早期の現場復帰は困難と判断。南アフリカW杯アジア予選を控えていたこともあり、岡田武史を後任監督に据えた。岡田は当初、オシムの遺産を引き継いだが、2008年3月のW杯アジア3次予選、アウェーのバーレーン戦に敗れると、一気に方針転換。自らのカラーを全面に押し出して、オシム色を消していった。
それでも、巻は代表の一員にい続けたが、2009シーズン、所属のジェフが下降線をたどっていくと同時に、代表に招集されなくなっていった。
「2006年ドイツW杯で代表入りできたのは、パフォーマンスがよくて選ばれたと思うんです。でも、代表に呼ばれなくなった頃は、代表に値するパフォーマンスじゃなかった。選ばれないのは、当然でした。
ただ、自分の調子が今ひとつなだけで、岡田さんが求めるサッカーに、自分はハマるタイプだと思っていました。前からプレスをかけて、ボールを奪って素早く攻める――運動量が求められる泥臭いサッカーじゃないですか。代表に入れば役立つ選手になれたと思うんですけど、そこまで自分を上げられなかった」
2009シーズン、最終的にジェフはJ1最下位となってJ2に降格した。巻自身も精彩を欠いて、代表復帰を果たすことはなかった。
2010シーズン、巻はチームでも先発から外れることが多くなった。そんななか、南アフリカW杯に挑む日本代表には、岡崎慎司、玉田圭司、大久保嘉人、森本貴幸、矢野貴章の5名がFWで選出され、巻の名前は23名のなかにはなかった。
「落選の悔しさは、あまりなかったです。ふつうに納得していました。オシムさんが日本代表の監督になってから、ジェフがかなり苦しんで、そのまま低迷してしまった。正直、代表よりもクラブをなんとかしないといけないという思いが強かったです。自分のパフォーマンスがよくなくて、J2に落ちてしまった。チームに対する責任やファンやサポーターにも申し訳ないという気持ちでいっぱいでした」
南アフリカW杯イヤーの7月、巻はジェフからロシアのアムカル・ペルミに移籍した。その後、中国の深圳紅鑽を経て、東京ヴェルディ、ロアッソ熊本でプレー。2018シーズンを最後に、現役を引退した。
W杯はドイツW杯の一度きりの出場となったが、ブラジル戦で60分間出場した経験は、巻のサッカー人生に何か影響を与えたのだろうか。
「影響は、あまりなかったです。W杯後の僕のストーリーで言えば、むしろ(W杯メンバーに)選ばれないほうがよかったと思っていました」
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