巻誠一郎にとってのサプライズ選出「W杯後の僕のストーリーで言えば、むしろ代表に選ばれないほうがよかった」 (4ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

 なぜ、選ばれないほうがよかったと思ったのだろうか。

「ドイツW杯以降、自分なりに一生懸命プレーしていても、代表復帰しないと終わりみたいに思われて......。僕は、代表やW杯が一番ではなかったですし、もともと興味がなかったんですが、『元日本代表』という肩書がついてしまって、それからは常に代表目線で評価されてしまうし、それがついて回るのがすごくイヤだった」

「ただ......」と巻が続ける。

「引退してからは、ドイツW杯のときにサプライズで選んでくれたことから、多くの人が僕のことを知ってくれていましたし、熊本地震の復興支援活動をしたときにも、みんなが自分の名前を覚えていてくれた。そういう部分では、よかったなぁと。最近ようやく、"元代表"という肩書を受け止められるようになってきました」

 巻は今、熊本でNPO法人『ユアアクション』の理事長として、2016年に起きた熊本地震の復興支援活動を継続。また、どこかで災害が起これば、ボランティアとして必要な物資を運んだり、スポーツで子どもたちが楽しめる場を提供するなどの活動している。

「今は、これをやりたいと思うものはないんですけど、その時々で興味のあるもの、ワクワクすることをやっていきたい。ある意味、サッカーと同じですね。僕は一生懸命にプレーして、勝って、喜びをファンと共有するところに、やりがいやワクワクを感じていたんです。これからも自分を軸に、ワクワクできることに取り組んでいきたいです」

 現役時代はサッカーの試合をほとんど見ることがなく、オシムから「サッカーの試合を見ろ」と、よく叱られていた。引退してからは、サッカーの試合をよく見るようになった。日本代表や古巣のチームの試合もよく見ているという。

「ジェフは、もっと頑張ってほしい(苦笑)。サッカーがオーソドックスというか、カラーがない。選手の能力に偏ったサッカーなので、それじゃ勝ち続けるのは難しい。選手の質が高いので、そこに監督の個性というエッセンスが加われば、もう少し変わっていくと思うんです。

 サッカーは、特に日本の場合は監督の力が70%ぐらい占めている。僕はオシムさんを見て、そう思いましたし、今もその考えは変わりません。いい監督が来れば選手を育てることができるし、チームも強くなっていく。それをオシムさんのもとで経験できたことは、僕には代表やW杯よりもはるかに価値のあることでした」

(文中敬称略/おわり)

巻誠一郎(まき・せいいちろう)
1980年8月7日生まれ。熊本県出身。大津高、駒澤大を経て、2003年にジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド千葉)入り。イビチャ・オシム監督のもと、着実に力をつけてプロ3年目にはレギュラーの座をつかむ。そして2006年、ドイツW杯の日本代表メンバーに選出される。その後、ロシアのアムカル・ペルミをはじめ、東京ヴェルディ、地元のロアッソ熊本でプレー。2018年に現役を引退した。現在はNPO法人『ユアアクション』の理事長として、復興支援活動に奔走している。

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