巻誠一郎にとってのサプライズ選出「W杯後の僕のストーリーで言えば、むしろ代表に選ばれないほうがよかった」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

 一方、所属のジェフはオシムの息子であるアマル・オシムが引き継ぐも、なかなか結果を出せずにいた。巻はチームに戻ると、オシムがいたときにはなかった感覚が生まれていた。

「自分のなかで、余裕ができたんです。それは、代表での経験とか、自分のレベルがひとつステップアップしたこともあったんですけど、ジェフの練習の強度が明らかに落ちていたことが大きいですね。オシムさんがいたときは、練習からギリギリのところで戦っていたんですけど、それがなくなった。それが、自分にとっても、チームにとっても、よくなかった」

 オシムがジェフを率いていたとき、巻のプレーはとにかくがむしゃらだった。余計なことを考えずに前線から守備をこなし、味方がボールを奪うと勢いよくスプリントしてゴール前へと突っ込んでいった。当時、「利き足はヘディング」と言われた巻。相手DFやGKとの衝突や交錯も厭わない勇気あふれるプレーが、彼の真骨頂だった。

「自分は(余裕が生まれて)いろんなモノが見えすぎてしまうと、よくないなと思いました。オシムさんがいた頃は、シンプルに一生懸命に走って、守備をして、ゴールを狙うだけだった。

 それが(オシムさんが)いないなかでプレーしたとき、『ここは自分がキープして、時間をつくったほうがいい』『ここで一生懸命(前から)追うよりも、時間帯的に(前から行くよりも)待ったほうがチームは助かるんじゃないか』とか、いろいろと考えるようになったんです。

 考えることは大事なことですけど、そうなると、今までやってきたことをやらなくなって、今までできていたことができなくなる。自分のスタイルが出せなくなる。プレーに迷いが生じて、苦しむようになりました」

 結局、2006シーズンのジェフは、W杯前までは5位だった順位を徐々に下げていって最終的に11位。翌2007シーズンは、さらに順位を下げて13位と落ち込んだ。巻も34試合出場で5得点と不本意な成績に終わった。

 思わぬ事態が起こったのは、2007シーズンの終盤だった。

 オシムが脳梗塞で倒れたのである。

「オシムさんが倒れたのは、本当にショックでした。僕にとってオシムさんは、一監督以上の存在で、おじいちゃんみたいな感じだったんです。プレーはもちろん、プロとして、人間として、いろんなことを学ぶことができましたし、スタッフや家族を守ってくれる大きな存在でした。オシムさんと一緒にサッカーができなくなると、学びを失うことになり、僕にとっては影響が大きかったです」

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