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サッカー日本代表がピッチコンディションと戦ってきた歴史「12月には砂埃が舞い、雨が降ると泥沼状態に」 (2ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【日本でもピッチが泥沼のような状態の時があった】

 今から30年ほど前、Jリーグが開幕した当時、韓国では日本に対する警戒心が高まっていた。問題として指摘されたのが施設面の格差だった。

 当時、韓国ではスタジアムや練習グラウンドが不足しており、Kリーグでもほとんどが古い陸上兼用競技場ばかりでピッチコンディションが悪かったし、大学などアマチュアサッカーでは旧式の人工芝が使われており、日本とは施設面で大きな差があると言われていたのだ。

 大韓蹴球協会の鄭夢準(チョン・モンジュン)元会長(1994-2011年までFIFA副会長)の側近から聞いた話だが、韓国が最初に2002年W杯招致に乗り出した時、勝算はまったくなかったそうだ。狙いは日本と招致合戦で競争することによって、政府から施設近代化のための予算を引き出すことだったという。

 その後、鄭夢準氏はその政治的センスを発揮し、欧州出身のFIFA理事とジョアン・アヴェランジェ会長(当時)との対立を利用して共同開催を勝ち取ることに成功。W杯共同開催が実現したことによって、韓国のサッカー施設問題は一気に解決されたのだ。

 現在、W杯最終予選で韓国代表はパレスチナと引き分けるなど大苦戦。ユルゲン・クリンスマン前監督解任から、洪明甫(ホン・ミョンボ)監督の就任までに長い時間がかかってしまったのも影響したか。どうやら、W杯共同開催から20数年が経過して、韓国のサッカー界全体が弱体化しているようなのだ。

 2002年W杯のために建設された競技場の荒れ果てた芝生は、そうした韓国サッカーの劣化の象徴にようにも見えた。

 もっとも、歴史的に見れば、日本はピッチコンディションに関してあまり上から目線で物を言える立場にはない。

 1980年代まで、日本のサッカー場にはいわゆる夏芝が張られており、冬になると枯れて白くなってしまっていたのだ。夏芝の上に冬芝の種を播いて冬でも緑を維持する「オーバーシーディング」を国立競技場が初めて試みたのは、Jリーグ開幕直前の1990年のことだった。

 夏芝が枯れた状態であっても、ちゃんと根付いていてくれればありがたかったのだが、たいてい夏の初めに植えた芝(夏芝)は秋が深まる頃にははがれて、泥がむき出しになってしまったものだ。東京で初めてのサッカー(球技)専用競技場だった西が丘サッカー場(現・味の素フィールド西が丘)なども試合に酷使されたため、秋口には芝生は姿を消し、大学選手権(インカレ)が開かれる12月には吹きつける北風に砂埃が舞い上がっていたものだ。

 1989年6月のイタリアW杯アジア予選のインドネシア戦は、その西が丘で行なわれた(国立競技場で開催しても観客は集まらないと思われたからだろう)。ところが、前日からの雨で芝生が禿げた状態の西が丘のピッチは泥沼のような状態となり、インドネシア側から抗議を受ける始末だった。

 もっとも、国立競技場で試合をしたとしても、ピッチは同じようなものだったはずだ。1985年3月の国立での北朝鮮戦(メキシコW杯予選)も雨に見舞われ、決勝ゴールは水たまりで止まったボールを、FWの原博実がうまく浮かせて決めたものだった。

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