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サッカー日本代表がピッチコンディションと戦ってきた歴史「12月には砂埃が舞い、雨が降ると泥沼状態に」 (3ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【本当にうまい選手は、どんなコンディションでも対応】

 その後、国立競技場は1991年に全面改装されてすばらしい芝生が実現。Jリーグ開幕とともに、緑の美しい芝生は全国に広まっていった。

 ピッチコンディションの改善は日本人選手のテクニックの向上に大きく貢献したが、思わぬ副作用に悩まされた時代もあった。

 すばらしい芝生に慣れきった日本人選手が、海外の凸凹のピッチに対応できなくなってしまったのだ。当時、アウェーゲームの様子を伝えるサッカー記事には「劣悪なピッチコンディション」という言葉が常套句のように使われた。

 2001年3月に敵地、スタッド・ド・フランスに乗り込んだフィリップ・トルシエ監督の日本代表は、フランス代表に0-5という大敗を喫してしまう。中田英寿以外の日本人選手は、ぬかるんだピッチの上でまともなプレーができなかったのだ。

 しかし、本当にうまい選手は、どんなコンディションでも対応できるものだ。

 1994年のキリンカップにはフランス代表が来日した。アメリカW杯予選の最終戦、ホームでのブルガリア戦でまさかの逆転負けを喫して出場を逃してしまった半年後のことだったが、エリック・カントナやジャンピエール・パパン、ユーリ・ジョルカエフ、ディディエ・デシャンなどを擁するスター軍団で、もしW杯に出場していれば優勝候補のひとつだったはずだ。

 キリンカップではそのフランスが神戸ユニバー記念競技場でオーストラリアと対戦したのだが、台風の影響で当日は大雨。水浸しの状態だった。すると、いつもはグラウンダーのパスを駆使して流麗な「シャンパンサッカー」を展開するフランス代表が、浮き球とロングボールを効率的に使った攻撃でオーストラリアを圧倒した。

 最近は、日本の若い選手たちも豪雨のなかでも、水が浮いた悪コンディションでも、あまり苦にせずにプレーできるようになっている。そして、最近はあの味の素フィールド西が丘のグラウンドも、日本で最高クラスの美しい芝生に覆われている。

 すべてが、30年前には想像もできなかったことばかりである......。それにしても、韓国が心配だ。

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著者プロフィール

  • 後藤健生

    後藤健生 (ごとう・たけお)

    1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。1964年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、1974年西ドイツW杯以来ワールドカップはすべて現地観戦。カタール大会では29試合を観戦した。2022年12月に生涯観戦試合数は7000試合を超えた。主な著書に『日本サッカー史――日本代表の90年』(2007年、双葉社)、『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013年、ミネルヴァ書房)、『森保ジャパン 世界で勝つための条件―日本代表監督論』(2019年、NHK出版新書)など。

【画像】サッカー日本代表ベスト布陣 識者たちが考察したアジア最終予選

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