久保建英が号泣 東京五輪はコロナ禍に泣いたのか、笑ったのか――もったいなかった自国開催大会 (2ページ目)

  • 浅田真樹●文 text by Asada Masaki

 また、東京五輪を語るとき、やはり忘れることができないのが、新型コロナウイルス感染拡大による1年延期である。

 たとえば、三笘薫や旗手怜央は、大学生のときからコンスタントにこのチームの活動に参加はしていたが、決して主力と位置づけられるような存在ではなかった。2020年に予定どおり東京五輪が開催されていれば、登録メンバーから外れていた可能性は十分にあっただろう。

 ところが、それぞれ大学を卒業した三笘と旗手は、2020年シーズンに川崎フロンターレで大ブレイク。一気に注目を集める存在となり、東京五輪での登録メンバー入りを果たしている。

 結果的に、東京五輪の登録メンバーからOAを除いた19人のうち、9人が2022年ワールドカップの登録メンバー入り。一度は選ばれながら、ケガで外れた中山雄太も含めれば、半数以上が「東京経由カタール行き」を果たしたことになる。

 森保監督がA代表の監督も兼任し、「1チーム2カテゴリー」の体制で強化を進めてきたことも大きく影響しているだろうが、大会が1年延期になったことで、よりA代表につながる選手選考ができたのは間違いないだろう。

 ある意味では、コロナ禍という未曾有の事態も味方につけた、と言えるのかもしれない。

 ただ、1年延期してもなお、コロナ禍が十分に収まることはなく、東京五輪が無観客で行なわれなければならなかったのは、戦う選手たちにとって無念だった。本来なら大きく背中を押してくれるはずの満員のスタンドの大声援がなかったことは、チームがメダル獲得目前で失速してしまったことと無関係ではなかっただろう。

 東京五輪のグループリーグで、日本は対戦順に南アフリカ、メキシコ、フランスと同組になった。いずれも強豪であり、かなり厳しいグループに入ったと言える。

 ところが、日本はこのグループを3戦全勝で首位通過。初戦の南アフリカ戦こそ選手たちに硬さが目立ち、なかなか得点が奪えずに苦しんだものの、久保がミドルシュートを決めて1-0で勝利すると、続くメキシコ戦は2-1、フランス戦は4-0と、難敵を連破した。

 日本は1996年アトランタ五輪以降、7大会連続の五輪出場だったが、グループリーグ3連勝は初めてのこと。OAの融合もスムーズだったチームの雰囲気はよく、このまま一気にメダル獲得まで駆け抜けるかに思われた。

 しかし、チームは徐々に勢いを失っていく。

 準々決勝では、延長戦も含めた120分間でニュージーランドから得点が奪えず、PK戦へ突入。ここはGK谷晃生の好セーブもあり、辛くも勝ち上がったものの、再びスコアレスのまま延長戦に突入した準決勝のスペイン戦で、開催国はついに力尽きた。

 延長後半の115分、マルコ・アセンシオに左足シュートを叩き込まれ、0-1で敗れた日本は、この時点で金メダルの夢が絶たれたのである。

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