日本代表はなぜシリア戦後半、4バックに戻したのか 大勝したからテスト成功とは限らない (3ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki

【布陣だけを真似るように使ってきた日本】

 使い分けることができれば、それはまさに達人になるが、4-2-3-1、4-3-3、3-4-3にはそれぞれ特徴がある。3-4-3に至っては、中盤フラット型もあれば、中盤ダイヤモンド型もある。3-4-2-1もあれば、3-4-1-2もある。森保監督がミャンマー戦で使用したような、そのいずれにも属さない特殊なものもある。流れのスポーツであるサッカーでそれぞれを完璧に使い分けることができるのか。

 シリア戦の後半、3バックから4バックに変えた瞬間に想起したのは野球だ。7回、8回、9回と、後半になると機会が増える投手交代である。森保監督の臨機応変は、継投策を練る野球監督に似ている。

 ロシアW杯の2カ月前に就任した前任の西野朗監督にも、同じ傾向があった。想起するのは、西野ジャパンとして国内で行なわれた最初で最後の親善試合、ガーナ戦だ。西野監督は試合前「3バックで戦うつもりだ」と述べた。「ハリルホジッチがずっと4バックで戦ってきたので、1試合ぐらい3バックをやっておかないと......」。それが理由だった。

 そして前半、5バックになりやすい守備的な3バックで臨み苦戦すると、後半はあっさり4-2-3-1に変更。突っ込みどころ満載と言いたくなる采配だった。

 日本人のサッカー監督のこれがスタンダードなのだと思う。西野元監督、森保監督が例外だとは思えない。Jリーグの日本人監督にもこのタイプは当たり前のように存在する。

 日本に4-2-3-1が入ってきたのはオシムジャパンの終盤から岡田ジャパンの時代にかけてだった。攻撃的サッカー、プレッシングの流れとセットで導入されたわけではなかった。

 欧州で4-2-3-1が流行した頃の論戦や経緯を知る者にとって、日本人の監督が何の宣言もなく、布陣だけを真似るように使用する姿、その背景に潜む歴史、コンセプト、哲学を学ぶことなく流行りものに手を出すかのような姿は、あまりにも軽く短絡的に映った。こだわりのなさがとても罪深く映った。

3 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る