駒野友一が忘れられない「あれ」...松井大輔がずっとそばにいてくれた「今は、お前のせいだと言われますけど(笑)」 (3ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • photo by AFLO

── 韓国に勝利し、悲願の優勝を成し遂げました。キャプテンとしてカップを掲げた瞬間はいかがでしたか。

「あれは、気持ちよかったです(笑)」

── この大会のメンバーから8人が翌年のブラジルワールドカップのメンバーに選出されました。しかし、駒野さんは選ばれませんでした。

「少なからず期待はありましたけど、自分の名前が呼ばれなかったのは......悔しかったですね。ワールドカップの出場が決まるまではコンスタントに試合に出ていたので『なんでだろうな』という想いはありました」

── これで5つの試合について、話を聞かせていただきました。

「もうひとつ......あるんですよね」

── もうひとつ?

「あれですよ」

── ......あれ、ですか。

「南アフリカワールドカップのパラグアイ戦です」

......【日本vsパラグアイ「0-0」「3 PK 5」/2010年6月29日/南アフリカW杯】

── やはり、あのPK失敗はキャリアのなかで忘れられない出来事となっているわけですね。あの瞬間をあらためて振り返ってください。

「外した瞬間はもちろん、やってしまったという感情でしたけど、自分は3番手だったので、あそこで終わったわけではなくて、残りのキッカーに託すしかなかったですね。

 でも、結果的に相手も含め、外したのは僕ひとりでした。その責任はすごく感じました」

── 試合後、松井大輔選手(グルノーブル/当時)の寄り添う姿が印象的でした。

「その時は顔を上げることができず、誰が横にいてくれたのか、わからなかったんですよ。あとから映像を見たら、松井がずっとそばにいてくれたんだなって。今となっては、お前のせいだと言われますけど(笑)」

── 大舞台での失敗は、その後のサッカー選手としてのキャリアだけではなく、人生にも大きな影響を与えたと思います。あるいは今後の指導者としてのキャリアにおいても、役立つものがあるのでは?

「あの大会後もJリーグでプレーし続けることになりましたが、自分のプレーが悪ければ今まで以上に批判されると思っていましたし、あの失敗があったからこそ、もっと成長しなければいけないとも思っていました。見ている方にプレーで納得してもらわなければいけないという想いで、自分にプレッシャーをかけてプレーしていました。

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