AIでサッカーを変える! 東大卒のキックコーチ・田所剛之の最終目標は「デ・ブライネをうまくするレベルまで行きたい」 (2ページ目)

  • 篠 幸彦●取材・文 text by Shino Yukihiko
  • 松岡健三郎●撮影 photo by Matsuoka Kenzaburo

【「キックの東大生」パーソナルトレーニングをスタート】

――パーソナルトレーニングを始めたのはどういった経緯があったんですか?

 その記事を見たポーランドでプレーする日本人選手から「キックのパーソナルトレーニングはできませんか?」とDMが来たんです。それまでパーソナルという選択肢が頭になくて、そこに需要があるのかと。ちょっとこれでいってみようかなと募集をし始めたのがきっかけですね。

――パーソナルトレーナーを始めた一方で、ア式蹴球部での活動はどうしていたんですか?

 1年生の頃からフィジカルコーチとして活動していました。当初はそんな役職はなく、フィジカルコーチのノウハウもないので、ゼロから勉強して練習でやることを決めるというのはなかなか難しかったですね。1年生の頃は勉強も忙しかったのでより時間もなくて、今思えばほとんどなにもできていませんでした。

 当時の学生監督が勉強熱心な人で、ラグビー日本代表が取り入れて成績がアップした最新のトレーニング理論の本を渡されましたが、英語版しかなかったんです。それを読んで翻訳して、内容を噛み砕いて監督や選手に伝えてトレーニングに導入するというのが最初の仕事でした。

 大学に入ったばかりの頃は都会にコンプレックスがあるし、自信はないし、それでいきなり何の知識もないのに上級生に指導をしろと言われても難しかったんですよね。そんななかでnoteの記事がバズって"キックの東大生"という見られ方をするようになってから自信もついてきて、徐々に3年生くらいになら強めにいけるようになっていきましたね(笑)。

――そのア式蹴球部のフィジカルコーチは3年生まで務めて辞めたそうですね。それはどうしてですか?

 3年生の時に林陵平さんが監督になって、フィジカルコーチの仕事をかなり任されるようになったんですね。それで週5でAチーム、Bチームの2部練に全部行って、毎日5時間ぐらいグラウンドにいました。そういう生活を3年生の頃に1年間やりきって、もうこれ以上はできないと思いました。

 あと、林監督がいるとはいえ、学生主体のチームなので僕の立場ができすぎてしまって「田所が言うことなら間違いない」という雰囲気になって、それもよくないなと。

 それで4年生になるタイミングでア式蹴球部を離れて、キックのパーソナルトレーニングとして「Kicking lab」を立ち上げて本格始動させました。3年生の頃から少しずつやってはいたんですけど、一般向けにちゃんと料金を取って始めたのはそこからです。

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