U-22代表レフティ・山本理仁が見据えるパリ五輪、そして夢の海外移籍「オンリーワンのものを追求していけば...」
サッカー日本代表「パリ世代」インタビュー09
山本理仁(ガンバ大阪/MF)後編
◆山本理仁・前編>>王様だった男の挫折「彼のマネをしようとして空回りしていた」
山本理仁が初めて年代別日本代表に選ばれたのは、2015年7月に大阪で行なわれた国際交流大会でのこと。その年の誕生日をまだ迎えていなかった"華奢なレフティ"は、13歳でU-15日本代表に名を連ねた。
以来、年齢が上がるたびにカテゴリーを上げ、年代別日本代表に選ばれ続けてきた山本は、代表の肩書きを一度も背負うことなく1年を過ごしたことはない。
しかし、2021年のU-20ワールドカップが開催中止になったこともあり、国際経験豊富な年代別代表の常連も、いまだ世界大会を経験できずにいる。
細かな立ち位置の変化やパスの出し入れでチーム全体を動かすコンダクターは、U-22日本代表で熾烈なポジション争いを繰り広げながら、自身初の世界挑戦となるパリオリンピック出場を目指している。
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山本理仁(ガンバ大阪)2001年12月12日生まれこの記事に関連する写真を見る── U-15代表で初めて年代別日本代表に選出された時は、どんな気持ちでしたか。
「もう、うれしい、しかないですよね。自分も喜んだし、家族も喜んだし、本当にうれしかったです」
── そこからは各年代で代表に選ばれてきました。
「(一度選ばれたら)ずっと残りたいっていう思いは強かったです。だから、常に上を目指して頑張れた。代表の存在は、自分の成長にすごく影響しているのかなって思います」
── その間、数多くの国際試合を経験してきて、印象に残っているチームはありますか。
「スペイン代表は、何回やっても衝撃的です。昨年11月にやったU-21代表との試合(0-2の敗戦)もそうですし、U-18代表でコテンパンにされた時(0-4の敗戦)は「やっぱ、コイツらエグいな」と思いましたから。
ああいう(パスをつなぐ)スタイルが好きな自分にとって、スペインとの対戦はすごく記憶に残るし、勝ちたい思いが強いぶん、コテンパンにされた時の悔しい思いは一番強いですね。いろんな国とやっていますけど、今思い出してもスペインだけは、チームとしてボールを動かす能力に長けているというか、その完成度は格段に違ったなって感じます」
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著者プロフィール
浅田真樹 (あさだ・まさき)
フリーライター。1967年生まれ、新潟県出身。サッカーのW杯取材は1994年アメリカ大会以来、2022年カタール大会で8回目。夏季五輪取材は1996年アトランタ大会以来、2020年東京大会で7回目。その他、育成年代の大会でも、U-20W杯は9大会、U-17W杯は8大会を取材している。現在、webスポルティーバをはじめとするウェブサイトの他、スポーツ総合誌、サッカー専門誌などに寄稿している。