「彼のマネをしようとして空回りしていた」ヴェルディの王様だった山本理仁はどうやって挫折を克服し、ガンバ移籍を決断したのか (5ページ目)
── 移籍直後に骨折が見つかったこともあり、実質、今季がG大阪での1年目。J1で出場機会が少ない現状をどう捉えていますか。
「(中盤の)真ん中3枚の壁は高くて、チャンピオンズリーグにも出ていたネタ(・ラヴィ)、身体能力が高いダワン、それにヒデ(石毛秀樹)くん、宇佐美(貴史)くんとか、もう本当にJ1でもトップレベルの層の厚さだと思います。
もちろん、選手としては試合に出たいし、出なきゃいけない焦りもあります。だけどそれ以上に、あのなかで練習ができることに意味があるし、日ごろの練習から盗めるものはたくさんある。試合に出られない時に得られるものもあるっていうのは、経験から学んだことのひとつでもあるので。
だから、このクラブに来てすごくよかったなって。なんとかスタメン争いにしがみついて、負けずにやっていきたいなって思っています」
── 東京V時代の試合に出られなかった経験が生かされている、と。
「これが一発目の挫折だったら、相当しんどかっただろうなって思います。慣れない大阪の地で、今までなかったようなことが起きたらパニクっていただろうし。
だから、あのヴェルディでの経験があってよかったなって、あの年は意味があるシーズンだったんだなって、今なら思えます。当時はそんなこと、まったく思わなかったんですけどね(苦笑)」
◆山本理仁・後編>>夢の海外移籍へ「オンリーワンのものを追求していけば...」
【profile】
山本理仁(やまもと・りひと)
2001年12月12日生まれ、神奈川県相模原市出身。東京ヴェルディジュニア→ジュニアユース→ユースを経て、2019年の高校2年時に飛び級でトップチームに昇格。同年5月のV・ファーレン長崎戦でJリーグデビューを果たす。2022年7月にガンバ大阪に完全移籍。U-15から各年代の日本代表に選出されており、昨年はドバイカップU-23優勝やU23アジアカップ3位に貢献。ポジション=MF。身長179cm、体重73kg。
著者プロフィール
浅田真樹 (あさだ・まさき)
フリーライター。1967年生まれ、新潟県出身。サッカーのW杯取材は1994年アメリカ大会以来、2022年カタール大会で8回目。夏季五輪取材は1996年アトランタ大会以来、2020年東京大会で7回目。その他、育成年代の大会でも、U-20W杯は9大会、U-17W杯は8大会を取材している。現在、webスポルティーバをはじめとするウェブサイトの他、スポーツ総合誌、サッカー専門誌などに寄稿している。
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