「彼のマネをしようとして空回りしていた」ヴェルディの王様だった山本理仁はどうやって挫折を克服し、ガンバ移籍を決断したのか (4ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by AFLO

 その時、ふと『守備で勝負しちゃダメだ』って思ったんです。そこで勝負しても自分よりいい選手はたくさんいるし、自分は昔からスルーパスや相手の逆を取るプレーに喜びを感じていたんだから、『やっぱ、自分はそっちだろ』っていう頭になりました。

 試合に出られなかった時期が、今思えばよかったというか......。その時期があったから、気づくことができたのかなって思っています」

── モヤモヤは完全に晴れましたか。

「それ以降はクリーンになりました。そのいいきっかけになったのは、東京オリンピック(に出場するU-24日本代表)のトレーニングパートナーとしてキャンプに呼んでもらった時ですね。

 田中碧選手とか遠藤航選手とか、いろんなボランチの選手を見ているなかで、自分に求められていることは何だって考えた時に、自分の方向性が定まった気がします。最低限、守備のところはやれなきゃいけないけど、今こうやっていいバランスでできているのは、あそこに行けたことがひとつのターニングポイントだったのかなって思います」

── そして昨夏、シーズン途中でガンバ大阪へ移籍。なぜこのタイミングで移籍を決断したのですか。

「その時期(2022年7月)に行なわれたE-1選手権で、同じ世代からジョエル、細谷真大(柏レイソル)、鈴木彩艶(浦和レッズ)の3人がA代表に選ばれて、やっぱり悔しかったし、早くレベルを上げないと置いていかれるっていう危機感もあって......。

 J2にいてはそこに入れないと思ったし、J1で活躍して早く入りたいっていう気持ちがあった。なので、オファーをもらった時は「行きたい!」っていう気持ちが一番でした。

 ただ、恩返ししきれてないまま、育ててもらったクラブとこういう形(シーズン途中の移籍)でお別れするのがいいのか......っていう葛藤もありました。

 でも、世界で見たら21歳は若くない。やっぱりレベルアップが求められていたし、最終目標は世界でやることなので。ヴェルディは居心地がよすぎたので、そこを離れて新しい環境でやらなきゃいけないって思ったのも、移籍を決断した理由のひとつです」

4 / 5

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る