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「彼のマネをしようとして空回りしていた」ヴェルディの王様だった山本理仁はどうやって挫折を克服し、ガンバ移籍を決断したのか (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by AFLO

── その後も東京Vひと筋で、トップ昇格までたどり着きました。

「やっぱりヴェルディっていうクラブは(同じ)ヴェルディグラウンドでジュニアからトップまでやっているんで、トップも身近に感じられた。そこでやることが(プロへの)一番の近道だと思っていました」

── 当時から東京Vアカデミー出身の先輩たちは数多くJリーグで活躍し、日本代表にも選ばれていました。

「めちゃくちゃ誇らしかったというか、先輩が代表に選ばれることによって、僕らもそこに行けるんじゃないかって希望が持てた。僕らがジュニアの頃は、中島翔哉(現アンタルヤスポル)くんの代が高3の時のプレミアリーグをよく応援に行っていたし、僕らのヒーローでした。あの代を間近で見られる環境にいたことは、すごく大きな財産だったのかなって思います」

── 山本選手自身も、まだ高校2年生だった2019年1月にトップ昇格しています。

「ユースに入って1年目に、永井(秀樹監督)さんからは『もう来年(2018年)にはトップに上がってないと』って言われていました。自分もなるべく早くその舞台に立つことを意識していたので、(高3でのJ2デビューを)そんなに早いとは思ってなかったです。

(年代別日本)代表で一緒にやった中村敬斗(当時ガンバ大阪・現LASKリンツ)くんや、菅原由勢(当時名古屋グランパス・現AZアルクマール)くんが高2でデビューしていたので、そういった意味でも早いとは思わなかったし、むしろ自分も早く出なきゃっていう危機感を持っていました」

── トップ1年目の2019年はJ2で22試合に出場し、翌2020年は35試合出場。順調にステップアップしている実感は?

「いや、全然なかったですね。正直、1年目は自分のなかでも、割とうまくできた感覚はあったんです。

 ただ、2年目になると、ジョエル(藤田譲瑠チマ/現横浜F・マリノス)が試合に出始めた。もともとキャンプから自分がアンカーをやっていたんですけど、だんだんと彼がそこをやるようになって、自分はサイドバックだったり、インサイドハーフだったり、たまにベンチに回ることもあって......。

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