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「彼のマネをしようとして空回りしていた」ヴェルディの王様だった山本理仁はどうやって挫折を克服し、ガンバ移籍を決断したのか (3ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by AFLO

 自分は昔から(常に飛び級で)上の代でやってきて、自分の代にそうやって自分より(試合に)使われる選手はいなかったので、それで変にいろんなことを考えちゃって、空回りしている感じがありましたね。だから2年目は全然、納得のいくシーズンじゃなかったし、今思えば伸び悩んだというか、楽しくサッカーをやれてなかったなって思います」

── それまでのように、お山の大将ではいられなくなった。

「言い方は悪いですけど、もう王様としてやっていたんで。そういった(ポジションを奪われる)状況が今までなかったから、どうすればいいのかわからなかった。だからもう、どんどんドツボにハマってった感じで、あのシーズンは正直、いい思い出がないです」

── まだ18歳だったにもかかわらず、トップチームで試合に出られないことが、そんなにも悔しかったのですか。

「試合に出られない経験がそれまでなかったからっていうのもあったし、そのなかで(同学年の)ジョエルにポジションを奪われたっていう......、まぁ、いらんプライドみたいなものが邪魔していたというか。

 今となっては、何でそんなバカなことしていたんだって思うんですけど。まったくタイプも違うのに、彼のマネをしようとして空回りしていたって感じですね」

── 藤田選手のマネとは?

「やっぱり守備が彼のよさだったし、アンカーとして相手の攻撃を回収する能力に長けていたから、それでチームがずっと攻撃を続けられて、うまく回っていた感じがありました。

 でも、当時の自分はヒョロヒョロで、同じことがまったくできない。守備ばかりにフォーカスしちゃって、自分のよさが全然出せなくなりました」

── それでも、翌2021年も30試合に出場しています。自分との折り合いはつけられたのですか。

「試合に出てはいたんですけど、自分のプレーには納得できていませんでした。2021年は(アンカーに)加藤弘堅選手が起用されることが多くなった時期があって、そこでチームも5連勝して......。

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