「日本に勝つこともできる」トルシエがベトナムで描くパリ五輪出場や2026年W杯出場への野望

  • 田村修一●取材・文 text by Tamura Shuichi
  • photo by REUTERS/AFLO

フィリップ・トルシエ
ベトナム代表監督就任インタビュー(3)

◆インタビュー(1):日本嫌いの前任者→トルシエがベトナム代表監督に就任 すぐに合意したのは「同じ条件という提示額をそのまま受け入れた」>>

◆インタビュー(2):トルシエが感じた日本サッカーとベトナムの類似点 小野伸二や稲本潤一ら黄金世代ともU-20代表は「よく似ている」>>

 フィリップ・トルシエが日本代表監督を務めた2002年日韓W杯から、はや20年の時が過ぎた。日本を離れてからのトルシエは、カタール代表、マルセイユ(フランス)、モロッコ代表、杭州緑城(中国)などの監督を歴任したが、必ずしも成功を収めたわけではない。

 それでも20年の歳月は、トルシエに確かな変化をもたらした。それは、彼がサッカー指導者として、また人間として成熟したことの証でもあった。

 トルシエのサッカーへの情熱は60代の後半になっても、いまだ燃え尽きてはいない。その行きつく先はどこにあるのか。彼はベトナムをどこに導こうとしているのか。トルシエの人生を賭けた戦いがこれから始まる――。

昨年のW杯最終予選では日本相手に先制ゴールを奪ったベトナム昨年のW杯最終予選では日本相手に先制ゴールを奪ったベトナムこの記事に関連する写真を見る――日本代表を指揮していた当時から20年以上の時が経過し、あなた自身も成熟したのではないでしょうか。

「さまざまな経験を積んだし、経験を積むことで私も成熟した。しかし同時に、常にディテールにこだわり、ディテールを意識するようにしている。ディテールこそが違いを作り出すからだ。

 ラボラトリーはうまく機能しており、私はとても満足している。仕事を熟知しているから、即座に決断ができる。経験や成熟、年齢といったものが、今の私の仕事をとてもしやすくしている。

 確かに私は成熟した。日本にいた頃に比べると、イラ立つことも少ないだろう。判断を下す際にも、より熟考するようになった。日本での私は、若く血気盛んだった。経験も少なかった。今のほうがずっとバランスが取れていると思う」

――日本人を覚醒させるためとはいえ、日本にいた当時のあなたは時にとてもアグレッシブでした。サッカーの枠を超えて、いろいろな場面で刺激を与え続けていました。

「そのやり方は、ベトナムでもしばしば用いている。人々を覚醒し、彼らの殻を突き破るために刺激を与えるのが、私のやり方だ。

 刺激を与え、傲慢さをへし折る。挑発することもある。挑発は私のメソッドでもある。そうすることで、選手たちも反応ができるからだ。時に私は、彼らの反発も求める。

 グループを覚醒させるために、私は常にこのやり方を続けている。彼らが居心地のいい世界から脱け出して、より遠くまで歩みを進めるための方法であるからだ。ぬるま湯から脱却するための有益な手段だ」

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