名古屋グランパスをリーグ制覇に導いた玉田圭司「W杯の悔しさをすべてJリーグにぶつけられた」

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun
  • photo by J.LEAGUE/J.LEAGUE via Getty Images

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私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第20回
ドイツと南アフリカ――2度のW杯で体感した真逆の試練~玉田圭司(3)

◆(1)玉田圭司が語る「史上最強」の日本代表が味わった悪夢>>

◆(2)玉田圭司が振り返る南アフリカW杯での苦悩>>

 2010年南アフリカW杯。現地入りした日本代表が本番を目前にして取りかかったのは、アジア最終予選までのシステムや戦術を一掃して大幅にメンバーを入れ替えるという、大きな"オペ"だった。

 中盤の底にアンカーを置く、4-5-1にシステムを変更。最終予選では主力だった中村俊輔、内田篤人、楢崎正剛らが先発から外れ、キャプテンも中澤佑二から長谷部誠に代わった。

 そして1トップには、玉田圭司ではなく、岡崎慎司を試したのち、本番では本田圭佑が配置された。出場機会を失った玉田は、このシステムのどこに自分が当てはまるのか、考えを巡らせた。

「レギュラーチームのシステムが4-5-1になったんですけど、サブ組はトップ下を置く4-2-3-1で、僕はそのトップ下だった。だから、(レギュラー組の)4-5-1でプレーする場合、(自分は)どこでできるか考えたんですけど、答えが見つからなくて......。

 もとは1トップでしたけど、そこに入ったのは体が強くて、体を張れる本田。僕がそこに入ると、また役割が変わってきてしまうので、ハマらないだろうなと思いました。途中から出るとしても、トップ下でいくのか、サイドから攻撃的にいくぐらいしかなかったので、自分の居場所(を見つける)というのは、すごく難しかったです」

 新たなシステムのなかで、自らのポジションを見つけられずにいた玉田。気持ち的にはややささくれ立った状態にあったが、本番を迎えて、もはや「ああだこうだ」と言っていらない状況となった。

 土壇場で採用したシステムによって、日本は初戦のカメルーン戦に勝利。チームとしての方向性が確定した。

「初戦に勝ったことで、(チームとして)『このシステムでいくしかない』というのが決まりました。そこで、自分が『(それよりも)こうしていこう』という立場でもなかったので、僕もそのやり方についていくしかなかった。

 歯がゆい部分はありましたけど、チームが結果を出したなかで不貞腐れるわけにもいかない。気持ち的には苦しかったですけど、試合に出るためにやるべきことをやる、ということに集中していました」

 続くオランダ戦では1点リードを許すなか、後半32分から途中出場。臆することなく、自分のプレーに徹したが、ゴールは遠かった。

「試合は(ヴェスレイ・)スナイデルの一発にやられて、成す術がないというか......。あのサッカーは守りきる力はあるけど、その上をいかれると挽回するのが非常に難しい。個人としても何もできなかった。

 そこで結果を出すことができなかったのは(自らの)力不足ですが、やっぱり頭から試合に出られない、というのがすごく悔しかったです」

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