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楢﨑正剛がトルシエ監督に抱いた第一印象。「馬鹿にされているような。腹立たしく思うことは結構あった」 (2ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • photo by AFLO

楢﨑に待っていた落とし穴

 その言葉どおりに、当初は川口がリードしたが、2000年に入ると楢﨑の出場機会が増加。同じくトルシエ監督が率いた同年のシドニーオリンピックにもオーバーエイジとして参戦し、指揮官からの評価を高めつつあった。

「どういうふうに自分が評価されているのかはあまりわかっていなかったんですが、トルシエ監督はGKに求めるものがすごくはっきりしていたんです。特にアグレッシブに戦うことを求めてきたので、そういう部分を身につけてアピールしていけば、レギュラーに近づけるという想いはありました。

 オリンピックはオーバーエイジという立場で出場しましたが、オーバーエイジは3枠しかないわけで、チーム力を高められる存在と判断されなければ選ばれないもの。そこで選んでもらったのは、確かに自信になりましたね」

 オリンピック直後に行なわれたアジアカップのメンバーからは外れたものの、この時点で守護神争いをリードしているのは楢﨑だった。

 ところが、順調に見えた楢﨑に、落とし穴が待っていた。

 年が明けて2001年、3月にサンドニで行なわれたフランス代表との一戦で、5ゴールを奪われる屈辱を味わったのだ。もちろん、5失点はGKひとりの責任ではないものの、心象を悪くしたのも確かだった。

「あれはショッキングでしたね。キャリアのなかで浮き沈みは常にあるものですけど、今振り返っても一番大きく沈んだのは、あの2001年の出来事だと思います」

 その試合を最後に楢﨑は、しばらく日本代表のゴールマウスに立つことはなくなった。ポジションを失っただけではなく、代表メンバー入りさえ叶わなくなったのだ。

「あの1年は、ずっと落ち込んでいましたね。取り返そうと思ってやるんですけど、メンバーにも入れなかったので、取り返そうにも取り返せない期間が続きました。Jリーグの試合には出ていましたけど、たとえそこでいいパフォーマンスをしても、充実感はあまりなかったです」

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