宮本恒靖が驚きと緊張感で「うわっ、出るのか」。初のW杯の舞台は「体にまとわりつくような空気を感じた」 (3ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

「理にかなっていると思っていましたし、積み上げも感じました。特にナイジェリア(開催)のワールドユース(1999年大会)を戦ったメンバーと融合したあとっていうのは、彼らも(移籍して)海外に出て行ったりということもありましたし、『いい流れになるな』と思っていました。

(宮本をはじめとする五輪代表の選手にとっては)A代表も同じ戦術なので、A代表の選手がどういうパフォーマンスをするのかっていう分析もしやすかったですし、例えば自分がA代表に行きたいと思った時に、じゃあ、誰と競争になるんだっていうところは、すごく明確になっていました」

 結果的に、宮本は2002年ワールドカップのメンバー入りを果たすわけだが、それは最後までギリギリの競争を勝ち抜き、ようやく手にしたものだった。

2002年日韓W杯について振り返る宮本恒靖氏2002年日韓W杯について振り返る宮本恒靖氏この記事に関連する写真を見る 実際、宮本のワールドカップ初出場は、意外にも途中出場という形で訪れている。

 2002年6月4日、埼玉スタジアム。グループリーグ第1戦、日本vsベルギーでのことである。

 両チームともに慎重だった前半を経て、後半に入ると大きく動き出した試合は、ベルギーが先制するも、鈴木隆行が同点ゴールを、さらには稲本潤一が逆転ゴールを決め、日本が2-1とリードしていた。

 そして迎えた71分。日本のDFライン、いわゆる"フラット3"の中央を務めていた森岡隆三が左足を痛めてうずくまった。

 ベンチ脇でウォーミングアップを続けていた宮本は、「隆三がしゃがんだので、『あれっ、大丈夫かな』と思いながらも、それで変に力が入りすぎてもよくないっていうのもあったので、『でも、大丈夫だろう』と考えるようにしていました」。

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