宮本恒靖が驚きと緊張感で「うわっ、出るのか」。初のW杯の舞台は「体にまとわりつくような空気を感じた」

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

日韓W杯20周年×スポルティーバ20周年企画
「日本サッカーの過去・現在、そして未来」
宮本恒靖インタビュー(1)

 宮本恒靖の2002年ワールドカップは、小さな新聞記事から始まった。

 2002年から、さらにさかのぼること15年。1987年当時、小学5年生だった宮本少年は、新聞の片隅の小さな記事に目を止めていた。

 日本がワールドカップ招致に立候補する――。よく見ていなければ素通りしたかもしれない記事には、そんなことが書かれていた(注:日本がワールドカップ開催へ向け、正式に立候補を表明したのは1989年)。

 ワールドカップと言えば、前年の1986年、宮本はメキシコで開かれた大会を初めて目にしたばかりだった。世界のスーパースターたちのプレーは、まだまだ十分に鮮烈な印象をともなって頭のなかに残っていた。

「前の年に初めて見て憧れていたワールドカップが、将来、日本で開催される可能性がある、と。父親と、『じゃあ、見に行けるね』って話したのは記憶にあります」

 15年後には自分がその憧れの舞台に立っていることを知る由もない少年にとって、ワールドカップは「出る」ものではなく、「見る」もの。その後、ガンバ大阪のアカデミーで頭角を現し、1993年には日本で開催されたU-17世界選手権に出場してもなお、自身のワールドカップ出場は現実的なものとはなり得なかったという。

「世界大会は初めてでしたし、ガーナ、イタリア、メキシコ、ナイジェリアと対戦しながら、徐々に大会の意味を理解する、みたいな感じでしたね」

1993年に日本で開催されたU-17世界選手権に出場した宮本恒靖(後列一番右)。photo by AFLO1993年に日本で開催されたU-17世界選手権に出場した宮本恒靖(後列一番右)。photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る

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