【日韓W杯から20年】FIFA会長の裏切り行為も。招致活動は日本有利で進むも韓国との共催になった理由 (4ページ目)

  • 後藤健生●text by Goto Takeo
  • photo by AFLO

FIFA会長から共同開催の提案

 日本招致を目指す、日本サッカー協会の長沼健会長は「地球を15周した」と言われるように世界を飛び回ってアピールを重ねた。宮澤喜一元首相や森喜朗元自民党幹事長(2000年から首相)などの政治家も招致活動に加わった。

 アヴェランジェ会長の支持をバックに、日本の開催能力をアピールするという正攻法の招致活動だった。

 しかし、鄭夢準会長の戦略は功を奏し、UEFAなどは韓国支持に回り始める。だが、当時のFIFAにとっては日本企業の存在感も大きかった。なにしろ、ワールドカップのスポンサー12社のうち3社(キヤノン、富士フイルム、日本ビクター)が日本企業だったのだ。また、韓国は経済的苦境にあり、韓国にとって単独開催の負担は大きすぎた。

 そこで、反アヴェランジェ陣営から「共同開催」という提案がなされることになったのだ。アヴェランジェ会長が推進していた日本単独開催案を否決することによって同会長の権威を切り崩すことができるし、鄭夢準会長も日本が先行していた招致合戦で共同開催を実現すれば、それを「勝利」と見なすことができた。

 2002年大会の開催国は1996年6月1日にスイス・チューリヒで開かれるFIFA理事会での投票で決まることになっていた。しかし、その前々日の5月30日に現地に滞在していた日本の代表団にFIFAのジョゼフ・ブラッター事務局長から「FIFAが共同開催を提案したら日本は受け入れるか」という連絡が入った。

 日韓両国の招致活動の加熱化によって、第三世界の多くの国もどちらかを選択することが難しくなり、UEFA陣営が推す共同開催に傾いていった。そのため、予定どおりに投票を行なったら日本単独開催案は否決される見通しが濃くなったのだ。

 そうなったら、アヴェランジェ会長は完全に権威を失うことになる。そこで、アヴェランジェ会長は権力を維持するために、自ら「共同開催」を提案することを決めたのだ。

 アヴェランジェ会長を信じて活動を続けていた日本サイドにとっては大きな裏切りだったが、日本としても「共同開催」を受け入れるしかなくなった。

 こうして共同開催が決まった直後の、満面に笑みを浮かべた鄭夢準会長と苦渋に満ちた長沼会長の表情がすべてを物語っていた。

 筆者は、FIFAの決定を受けての韓国の反応を取材するため、5月下旬から韓国に滞在。鄭夢準会長がチューリヒから帰国した際もソウルの金浦空港で取材したが、会長はまるで凱旋将軍のような歓迎を受けていた。

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