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【日韓W杯から20年】FIFA会長の裏切り行為も。招致活動は日本有利で進むも韓国との共催になった理由 (3ページ目)

  • 後藤健生●text by Goto Takeo
  • photo by AFLO

鄭夢準会長の政治的手法

 鄭夢準会長は韓国有数の現代(ヒョンデ)財閥創業者の息子で、現代重工業の会長。1988年からは国会議員も務めていた。そして、1993年に大韓蹴球協会の会長に就任していた。

 これは、筆者が当時の鄭夢準会長の腹心の部下だった人物からのちに聞いた裏話なのだが、鄭夢準会長も最初は「招致活動で日本に勝てる」と本気で思っていなかったそうだ。「ワールドカップ招致レースに手を挙げれば、政府からスタジアム整備のための予算を獲得できるかもしれない」というのが本音だったとのこと。

 だが、韓国の招致活動は次第に本格化していく。とくに、1993年秋にカタールのドーハで開かれたアメリカW杯最終予選の最終日に、イラクに引き分けた日本に代わって韓国代表が2位に浮上して出場権を得たことも、ひとつのきっかけとなった。

 なにしろ、相手が日本なので、韓国としては負けるわけにはいかない。また、招致活動で日本に勝利してワールドカップを開催できれば、鄭夢準会長にとっては大統領選挙での勝利も見えてくるかもしれない。

 だが、招致活動では日本がはるかに先行していた。アヴェランジェ会長も日本開催を支持している。さらに、1997年にはIMF(国際通貨基金)の救済を仰ぐことになるなど1990年代後半に韓国経済は失速していた。

 そこで、1995年にアジアサッカー連盟での選挙に勝利してFIFA副会長に就任した鄭夢準会長は、招致レースを"政治化"していく。政治学の分野で「リンケージ」と呼ばれる手段だ。

 1974年にFIFA会長に就任したアヴェランジェ会長は、世界的な有力企業「コカ・コーラ」をスポンサーにつけてワールドユース大会(現、U-20ワールドカップ)を開催したり、発展途上国をサポートするなどの成果をあげていたが、その独裁的な運営に対してヨーロッパ諸国が反発を強めていた。

 当初はアヴェランジェ会長を「商業主義的すぎる」と批判していたヨーロッパ諸国だったが、レナート・ヨハンソン会長の下で欧州サッカー連盟(UEFA)は1992年に従来のチャンピオンズカップを「チャンピオンズリーグ」にし、ワールドカップを凌ぐとも言われるビッグビジネスとして定着させていった。

 UEFAと組んでこうした商業化を推し進めていたのがマーケティング会社の「TEAM」だった。その「TEAM」は、アヴェランジェ会長の下でビジネスを行なっていた「ISL」とはライバル関係にあった。

 こうして、アヴェランジェ会長のFIFA対ヨハンソン会長のUEFA、ISL対TEAMという対立が生じていた。そして、そこに目をつけた鄭夢準会長は、ワールドカップ招致活動をそうした対立とリンクさせたのだ。

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