【日韓W杯から20年】熱狂の2002年ワールドカップ。日本の4試合は「ヨーロッパの下部リーグのような試合だった」
日韓W杯20周年×スポルティーバ20周年企画
「日本サッカーの過去・現在、そして未来」
2002年日韓W杯 日本の4試合を振り返る 前編
日本を熱狂の渦に巻き込んだ、サッカーの2002年日韓W杯から20年が経った。この特集では、当時のサッカー界の模様を様々な角度から振り返っていく。
20年前の6月4日は、日本の初戦・ベルギー戦が行なわれた日だ。ここでは日本が世界と戦ったあの時の4試合を改めて検証した。
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2002年日韓W杯初戦のベルギー戦で同点ゴールを決めた鈴木隆行この記事に関連する写真を見る2002年6月4日/グループステージ第1戦
日本 2-2 ベルギー
2002年日韓W杯初戦。日本代表のベルギー戦メンバーこの記事に関連する写真を見る
フィジカルと戦術がゲームの主役
その時観た試合が、あとに見返してみると全く印象が変わる場合がある。日韓ワールドカップの日本代表の初戦がまさにそれだった。
59分に鈴木隆行が1-1に追いつくゴールを決めた瞬間、それまで聞いたことのない歓声が沸き起こったのを覚えている。頭の上から音の塊が落ちてくるかのようだった。この瞬間、日本のワールドカップは開幕した。あとは熱狂の渦だった。
初戦らしくカタイ試合だとは当時も思っていたが、ずいぶんあとに見直してみると、まるでヨーロッパの下部リーグのような試合だった。パスは3本とつながらない。各所で体をぶつけあい、ファウルの応酬となっていた。
4年前のフランスW杯、日本代表は3戦全敗だったとはいえ、日本らしいプレーはそれなりにできていた。中田英寿、名波浩、山口素弘から糸を引くようなクサビが入り、FWがワンタッチでレイオフ、それをまたワンタッチでサイドへ。スピーディーで小気味のいい展開が何度もあったものだ。
それが、このベルギー戦では全くない。日本代表のサッカーは変わっていて、世界のサッカーも変わっていた。
例えば4年前、中田英がドリブルで1人外してスペースをぐいぐいと運んでいくのは日本代表の攻め手のひとつだったが、ベルギー戦でそんなシーンは見られない。やろうとしても奪われるかファウルされるか。布陣がコンパクトになっていてスペースがなく、すぐに2人目が来るからだ。
下部リーグのような試合と書いたが、レベルが低いわけではない。日本とベルギーはこのグループを突破した2チームである。サッカー自体がそうなっていたのだ。よりコンパクトになり、ハードワークが浸透し、技術が後退してフィジカルとタクティクスがゲームの主役になっていた。
このあと、世界のサッカーは技術優位へ揺り戻しが起こるのだが、この試合の日本とベルギーは当時のサッカーにおける典型的な内容だったわけだ。
どちらも組み立てというものがほぼない。当たり合いと浅いラインの裏の取り合い。とても刹那的なゲーム展開となっていた。
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