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加地亮の日本代表ベストゲーム。「ヒデさんや俊輔さんとは喋った記憶がない。それでよくサッカーができたな」 (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by (C)Enrico Calderoni/AFLO SPORT

 そして、迎えたメンバー発表当日。チュニジアとルーマニアに遠征する23人(その後、2人が追加招集)が発表されると、そこには事前の情報どおり、日本代表初招集となる加地の名前があった。

「正直、もっと(他に)いるんじゃないの?って思いましたし、自分でいいのかなっていうのが率直な感想でした」

 しかも、当時日本代表を率いていたジーコ監督は、その遠征で行なわれる2試合の先発メンバーまで同じ席上で発表。加地はチュニジア戦に先発出場することが明かされた。

「その頃、FC東京には徳永(悠平。当時、早稲田大在学中)が強化指定選手で入ってきて、僕も試合に出たり、出なかったりだったので、正直、僕のどこがよかったんかなっていうのはありました。

 まあ、タイミングよく選んでもらえたみたいなんですけど、めちゃくちゃビビッていましたね。これはヤバいな、と(苦笑)。親善試合とはいえ、負けたらどうなるんだろうっていうプレッシャーはありましたし、ここで結果を出さなかったら、これからどうなるんだろうって、先のことばかり考えていました」

 とはいえ、まったく自信がなかったわけでもない。

 1980年1月13日生まれの加地は、いわゆる"黄金世代"のひとり。1999年ワールドユース選手権に出場したU-20日本代表にも名を連ね、準優勝という快挙を成し遂げている。

 滝川第二高を卒業後に加入したセレッソ大阪では、なかなかポジションをつかめず、当時J2の大分トリニータへの期限付き移籍も経験したが、そこでの活躍が認められ、2002年にはFC東京へと移籍していた。

「サッカー選手としてプロになり、J2からJ1へステップアップし、ようやく力がついてきたのを感じていました。自分のなかでも『もしかしたら代表も狙えるのかも』という実感が湧いてきたころでした」

 加えて、同世代の選手、すなわち、小野伸二、稲本潤一、高原直泰らから受ける刺激もあった。

「彼らは常に代表に入っていて、同じ世代であっても自分よりは確実に上のレベルにいるのはわかっていました。いい刺激をもらっていましたし、いつかは自分もJ1で活躍して一緒に代表で、っていうイメージは描きながらプレーしていましたね」

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