加地亮の日本代表ベストゲーム。「ヒデさんや俊輔さんとは喋った記憶がない。それでよくサッカーができたな」 (4ページ目)
とりわけ同じ右サイドで連係することが多かった中田とは、初めて一緒にプレーするとは思えないほどスムーズなコンビネーションを見せ、周囲を驚かせた。
「ヒデさんは人を生かすタイプで、僕は生かされるタイプ。なので、ボールをもらう前から常にヒデさんを見て、いかに早く預けて、次にどう動くか。ヒデさんはだいたい縦パスを狙っているので、縦パスのあとの3人目、4人目の動き出しっていうところにフォーカスしながらずっとプレーしてました。それはたぶん、ヒデさんも思っていたことだと思います」
負けたらどうなるんだろう――。悲壮とも思える覚悟で臨んだデビュー戦も、終わってみれば、日本が1-0で勝利。加地個人も、ジーコ監督からは「新しい発見だ」と高い評価を受けた。
「ある程度主導権は握れていたと思うんですけど、なかなかゴールをこじ開けられず、すごく堅い試合ではあったと思います。でも、前半のうちにヤナギ(柳沢敦)さんが1点とってくれて、後ろはしっかりゼロ(無失点)でいくっていうことを心がけながら、うまく試合を運べたと思います」
唯一、もったいないプレーを挙げるとすれば、後半に訪れた決定機。加地はDFラインの背後へ抜け出し、GKと1対1になりながら、せっかくのチャンスを逃している。
日本代表初招集、初出場、初先発にして、いきなり初ゴールまで決めてしまう。そんな"大偉業"を寸前で逃してしまったわけだが、「でもね、僕のサッカー人生、たぶんそういうもんやと思うんです」と、加地は笑う。
「コンフェデ(2005年コンフェデレーションズカップ)のブラジル戦(試合開始早々にゴールを決めたが、際どいオフサイドの判定で取り消された)もそうですし、やっぱり、あれをとってしまうと僕じゃない(笑)。
僕のサッカー人生のなかでは、あれは決めなくていいっていうか、惜しいところで終わってしまうのが自分のサッカー人生なんで。あれはあれで僕らしいなって感じはします」
それでもこのチュニジア戦で、加地がどれほど鮮烈な印象をジーコ監督に植えつけたかは、この試合をきっかけに日本代表に定着し、3年後のワールドカップに出場していることからもよくわかる。
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