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トルシエが語っていた「最強」シドニー五輪代表の実像。「中田英寿は特別だった」 (3ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by AP/AFLO

◆ちょうど20年前、「史上最強」と称された日本代表を知っているか?

 世界を日常的に経験していない選手が多かったことが、ゲームマネジメントの拙さにつながっていた。

 アメリカ戦は、その実像が浮き彫りになった。攻撃は目を見張ったが、守備は各々がボールを追う形になり、スペースを与えていた。相手の流れになった時、リトリートしてダメージを最小限にすることもできない。一種の無垢さというのだろうか。例えば松田は、たったひとりでスペースをカバーし、自ら仕掛けられたが、チームとして判断し、連動する老獪さは物足りなかった。

 日本は中村の2アシストで、柳沢、高原が見事なゴールを決めたが、リードを守り切れていない。1失点目は押し込まれてCKを与え、こぼれ球を叩き込まれた。ゴール前までボールを運ばれると浮足立った。2失点目は、GKが敵陣から蹴ったロングボールをヘディングで流され、敵選手を追った日本の選手が相手を倒し、PKを献上。イージーな失点で、手にしていた勝利はすり抜けていった。

「たら・れば」を語られることが多い一戦だが、ベスト8は妥当だったかもしれない。

「ラインで遊べ!」

 当時、トルシエ監督はフラット3を掲げ、不遜な物言いで選手たちを叱咤し、そこに反発や軋轢も生まれた。しかしその中身は、臨機応変にラインを上げ下げし、守りで主導権を握って攻めに転じろ、という基礎的な指示だった。その強度や精度が足りなかったのだ。

「トルシエがうるさく言っていたことの意味が、今頃になってわかってきましたよ」

 横浜F・マリノスでの晩年、松田はそう明かしている。
(つづく)

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