岩渕真奈「経験したことがない苦しさを味わった」。東京五輪では「攻守でどれだけ自信を持てるかが大事」

  • 早草紀子●取材・文・写真 text&photo by Hayakusa Noriko

 苦しいときに一発を決められるのがエース。岩渕真奈は十分その期待に応えられる存在となって東京オリンピックを迎えようとしている。

 彼女が世界的に注目されたのは、15歳で臨んだ2008年のU-17 FIFA女子ワールドカップだった。卓越したドリブルとパスセンスが高く評価され、"リトルマナ"と親しみを込めて多くの人に呼ばれた。飛び級を重ねながらアンダーカテゴリーの代表を経験し、なでしこジャパンに初招集されたのは16歳の時。その存在をタレント的な扱いで報道されることも多々あり、自らの実力との差に苦しんだ時期もあった。

東京五輪には10番をつけて出場することになった岩渕真奈東京五輪には10番をつけて出場することになった岩渕真奈 2011年には、なでしこジャパンの一員として世界一という大きな経験もした。それらはすべて先輩の背中を必死に追いかけて掴んだもの。この夏は、自らがチームを牽引する立場として、自国開催のオリンピックを迎える。28歳となった岩渕が思い描くオリンピックとは。

――2016年のリオデジャネイロ五輪予選で敗退したことで、オリンピックとしてはロンドンの2012年から9年待ったことになります。

「個人的には、この9年は本当に濃い時間だったので、"待った"という感覚はないですが、延期が決まってからのこの1年は間違いなく"待った"時間でした(笑)」

――オリンピック開催の延期が決まった時、今後について悩んだと聞きました。大会までの半年、海外に出れば国内合宿に戻ってこられるのか、先行きが見えない状況でアストン・ヴィラLFC(イングランド)への移籍(現在はアーセナル・ウィメンFC所属)を決めた理由は?

「年齢も大きかったですね。今行かなかったら、オリンピック後のシーズンとなると29歳、そこからというのは想像できなかったので、ラストチャンスだと思って移籍を決めました。オリンピックに向けての合宿に参加できないかもしれないデメリットも考えましたが、それよりも日頃から海外の選手とプレーができるというメリットを取りました。最終的な決断を下す時には潔く、気持ちよく決めることができました」

――シーズンが進むうちに契約時とアストン・ヴィラLFCのチーム状況が変わってしまったところはありましたが、求めていたものは掴めましたか?

「正直に言うと、この半年は今までのサッカー人生で経験したことがない苦しさを味わいました。自分を求めてくれた監督がコーチに降格になって、新監督は守備的な考えで、『点を獲るよりゼロで頑張ろう』という失点をしないサッカーでした。その中で監督も自分のよさは理解してくれていましたが、やるサッカーに自分がまったく合っていなくて、守備の立ち位置とか、コントローラーを握られながらプレーしている気分でした。その苦しさは初めての感覚でしたね。

 でも、それがあったからこそ充実してたと思うんです。サッカーの部分では、日々身体の大きい、強い、速い相手とプレーできて、自分にとってプラスしかなかったですから」

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