日本代表に縁のなかった実力者たち。「シャドージャパン」を選んでみた (3ページ目)
事実、ここ数年は川崎フロンターレの攻撃陣の中心となり、Jリーグの年間最優秀賞を獲得するなど、その能力の高さを存分に発揮している。ドリブルがうまかった水野も、同じように本田や家長と並ぶアタッカーだったが、才能を十分に伸ばすことができなかった。
中盤で大野をサポートする役割の上野良治も、武南高校時代は天才MFとして見る者を魅了したが、プレーが淡白で守備をしない選手だったためか、代表には縁がないプレーヤーだった。だが、選手生活の晩年になって、横浜F・マリノスの岡田武史監督の下でプレースタイルを変え、攻守にわたって献身的なプレーを見せた。
この2000年代の「シャドージャパン」は、3つの年代の「シャドージャパン」のうち、最も実戦的なチームと言えるだろう。家長と水野のサイドアタッカーに、田中隼磨、新井場徹のSBが組んだ攻撃は攻守ともに強力だ。
センターフォワードに置いた平山相太が、国見高校時代のような天才ストライカーぶりを発揮できれば、得点力はかなり高いチームになるはずだし、大野、山田卓也、上野の中盤の好守のバランスも絶妙だ。
2010年代のシャドージャパンは、ポリバレントな選手が揃った<2010年代の「シャドージャパン」>
(FW)川又堅碁(9)、渡邉千真(1)
(MF)柏好文(0)、大島僚太(7)、西大伍(2)
(MF)大谷秀和(0)、髙萩洋次郎(3)
(DF)車屋紳太郎(7)、谷口彰悟(3)、森脇良太(3)
(GK)東口順昭(8)
※( )内の数字は日本代表国際Aマッチ出場試合数
2010年代の「シャドージャパン」は、ポリバレント性の高い選手が多いあたりが、現代のサッカーらしいところだ。
車屋紳太郎や森脇良太は、3バックでも、4バックでもこなせるし、車屋は大学時代はCB、プロ入り後はSBでプレーしてきた選手だ(最近は、またCBでプレーする機会が増えている)。玄人受けするMFのバランサーである大谷秀和も、若いころはSBとしてプレーしていた選手だ。
玄人受けする実力者MF大谷秀和も、日本代表とは縁がない さらに、西大伍は右SBとして知られるが、守備的なMFとしても、さらにサイドアタッカーとしてもプレーできる選手であり、今後、リカルド・ロドリゲス監督の浦和レッズでは重要な役割を果たす可能性もある。西などは、どうしてもっと代表に招集されなかったのかと不思議に思える。
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