サッカー日韓戦、伝説の3試合。36回観戦した大ベテラン記者が厳選!

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

サッカー日韓戦は、お互いがライバル心むき出しで戦い、ピッチも周囲も熱くなる特別な一戦だ。長らく日本代表を取材し、日韓戦も数多く観戦している後藤健生氏に、日本にとって特別な3試合を紹介してもらった。

◆ ◆ ◆

 僕は、これまで日韓戦を36回スタジアムで観戦してきたが(通算7勝11分18敗)、そのうちの「ベスト3」をご紹介しよう。

1967年メキシコ五輪予選の日韓戦はドロー。これが翌年の銅メダル獲得へつながった photo by AFLO1967年メキシコ五輪予選の日韓戦はドロー。これが翌年の銅メダル獲得へつながった photo by AFLO◆1967年10月7日 メキシコ五輪予選
日本 3(2-0、1-2)3 韓国
(得点)宮本輝紀(13分)、杉山隆一(37分)、李会沢(51分)、許允正(69分)、釜本邦茂(70分)、金基福(72分)
(日本代表メンバー)
横山謙三、片山洋、森孝慈、上久雄、山口芳忠、小城得達、八重樫茂生、宮本輝紀、松本育夫、釜本邦茂、杉山隆一

 僕が人生で初めて観戦した日韓戦は、1967年10月7日に東京・国立競技場で行なわれたメキシコ五輪予選。日本はフィリピン、台湾、レバノンを相手に3連勝し、韓国も3戦全勝で迎えた日韓対決だった。

 6チームのなかで首位になれなければ、当時の日本代表にとって最大の目標であるオリンピック出場権は得られないのだ。雨のなか、国立には約4万5000人以上の観衆が集まった(3年前の東京オリンピック以来の観客数だった)。

 当時の日本は、白のユニフォームが基調で、この時も日本が白、そして韓国はいつものどおりの赤だった。日本の白のシャツが、たちまち泥で汚れていく。

 試合は13分に宮本輝紀のボレーシュートが決まって早くも日本がリードし、37分にも杉山隆一が決めて2点差。そして、さらに前半終了間際にも八重樫茂雄がゴール前でフリーになる絶好機があったのだが、ぬかるんだピッチでボールがバウンドしたため決められなかった。長沼健監督は「3点差になったら後半は守備的に切り替えるつもりだった」と語ったが、2点差のままだったので日本は後半もそのままのシステムで戦うことになった。

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