「最強」2000年アジアカップの
日本代表はそれまでと何が違ったのか (2ページ目)
そして名波は、今にして思えば実に豪華な最終調整を、こんな言葉で振り返った。
「あのフランスでのゲームが、チームをもうひとつ上に上げるきっかけを作ってくれたんじゃないかな」
若き日本代表は、少しずつ膨らんでいく自信と手応えを携え、レバノンへと乗り込んだ。
グループリーグ初戦の相手は日本と並ぶ優勝候補の一角、サウジアラビアだった。
中東開催の大会で、いきなり中東屈指の強豪国との対戦。その事実は、かなりの苦戦を予想させた。当の選手にしても、「もともとA代表にいた人たちが、どう思っていたかはわかりませんが、僕としては、前回優勝でアジアトップと言われる相手との試合がどうなるのか、本当にやるまでわからなかった」(明神)。それが、正直な気持ちだった。
ところが、である。
「最終ラインに少し不安定なところがあって、ボランチ(の自分)は(守備重視で)後ろに重くいたほうがいいのかな」
名波はそんな意識で試合序盤を過ごしていたが、「むしろ前に顔を出したら、意外にボールがもらえて、前も向けて、みたいな感じで」、少し戸惑いながらも、「攻撃と守備(のバランス)を7:3くらいにしていった」。
怖いのは快足ストライカー、アルジャバーと、中盤のテクニシャン、アルテミヤトのホットライン。そこだけは消しておく必要があるとは感じていたが、徐々に「攻撃的にやっちゃったほうがいいのかな」という感覚が強くなっていた。名波が続ける。
「よかったのは、(2トップの)柳沢(敦)と高原(直泰)だね。あのふたりは動き出しが速いし、動きが重なることもほとんどないから、(相手の)センターバックがあたふたしていた。そこに、森島が間をどんどん突いていって。2点目までスムーズに入ったんで、展開としては楽でしたね」
厳しい戦いが予想された試合も、2トップのゴールで前半のうちに2点差がついていた。
「なんかもう、すべてが違う、って感じでしたよね」
しみじみと振り返るのは、ベンチで見ていた山本昌邦である。
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