「最強」2000年アジアカップの日本代表はそれまでと何が違ったのか (4ページ目)

  • 浅田真樹●取材・構成 text by Asada Masaki
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

「柳沢が風邪か何かの体調不良で、西澤(明訓)が出たんだよね。そうしたら、高原と西澤の2トップがふたりともハットトリック。相手も戦意喪失だったし、あの試合はサウジ戦よりも左のウイングバックのほうに(長く)いたと思う。(中村)俊輔になるべく中央にいさせてあげて、森島と"ダブルトップ下"みたいな形にしていたと思います」

 名波の言葉にもあるように、この大会の日本代表の攻撃において、ひとつのカギとなっていたのが、名波と中村のポジションチェンジだった。

 スタートポジションで言えば、名波はボランチ、中村は3-5-2の左ウイングバック。だが、中村はトップ下志向が強く、左ウイングバックでの起用を完全に納得していたわけではなかった。名波はその心中を察し、時折ポジションを入れ替わっていたのだ。

「だって、俊輔は顔を見れば、もうストレスが溜まっているのがわかる。そういうタイプの選手じゃないですか」

 そう言って笑う名波は、「これ、(過去に取材で)何度も言っているんですけど」と前置きし、続ける。

「(2人のポジションチェンジは)トルシエの指示うんぬんとかじゃなく、ただ俊輔がストレス溜まっているなと思ったら、『おまえ、インサイドに来いよ』って。そう言ってやれば、俊輔はもう喜んで入ってくるんで(笑)。そうしたら、オレが外に出てやるだけ。これだけの話なんです。それを繰り返していただけで、そんなに難しいことじゃない」

 むしろ称えられるべきは、自分や中村ではなく、そのポジションチェンジに苦もなく対応し、サポートできた他の選手たち。名波はそう考えていた。

「俊輔が左にいるときと、オレが左にいるときの守り方の違いを、(左DFの)服部(年宏)や(ボランチの)イナ(稲本潤一)が把握していれば、何の問題もなかった。直接話をして、いちいち確認するわけじゃなかったけれど、こうなったらこうなるよね、っていう感じで、お互いが信頼して動けていたと思います」

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